青い鳥
第一章 配達ミス
「はい、お疲れさまでした」
青木健太は慣れた手つきでバイクのエンジンを切ると、配達用のバッグを肩から下ろした。今日も無事に配達ルートを回り終え、夕日が傾きかける中、郵便局へと向かう。
二十四歳になる彼は、この街の中央郵便局で働く、ごく普通の配達員だった。毎日同じルートを回り、同じ時間に局に戻る。変化のない日常だが、それが彼には心地よかった。
「あれ?」
バッグの中を確認していると、見覚えのない封筒が一通混じっているのに気づいた。白い封筒に、青い鳥の羽根が一枚、美しい筆致で描かれている。差出人も宛先も書かれていない。
「配達リストにはなかったような……」
青木は首をひねりながらその封筒を眺めた。局に持ち帰って確認すべきだろうが、もう局は目の前。そんな時、いつものように近くの郵便ポストに手が伸びた。
「あ」
気がつくと、封筒はポストの投函口に消えていた。彼の悪い癖だった。郵便物を見ると、つい投函してしまうのだ。
「まあ、いいか。どうせ局で回収するし……」
そう呟いて、青木は郵便局の扉を押した。
第二章 厳重注意
翌朝、青木は局長室に呼び出された。
「青木君」
局長の田村は、普段の温厚な表情とは打って変わって、険しい顔をしていた。
「昨日、君が投函した封筒について聞きたい」
「え? あ、はい。青い鳥の絵が描かれた……」
「その通りだ」田村局長は深くため息をついた。「青木君、君は大変なことをしてしまった」
「大変なこと、ですか?」
「あの封筒は……」田村は声を潜めた。「この街の裏社会に関わる、非常に重要な書類だったんだ」
青木の頭が真っ白になった。
「マフィア? そんな、普通の郵便局が……」
「表向きはね。しかし時々、そういった組織が我々のネットワークを利用することがある。もちろん、一般の職員には関係のないことだったんだが……」
田村局長は机の引き出しから、一枚の写真を取り出した。スーツを着た強面の男が写っている。
「黒崎組の若頭、黒崎だ。彼らがあの封筒を探している。そして、君が投函したことを知っている」
「僕が……?」
「防犯カメラの映像だよ。青木君、申し訳ないが君は狙われている」
第三章 青い鳥からの接触
その日の帰り道、青木は重い足取りで家路についていた。頭の中で田村局長の言葉がぐるぐると回っている。
「狙われている」
そんな映画の中の話が、自分の身に降りかかるなんて。
「青木健太さん」
突然声をかけられ、青木は振り返った。高校生くらいの小柄な少女が立っている。ショートカットの髪に、大きなメガネ。一見すると普通の学生だが、その目が只者ではない鋭さを持っていた。
「え? どちら様……?」
「私たちは『青い鳥』。あなたが投函した封筒について話がある」
「青い鳥……?」
少女は振り返ると、街角に立つ男性に視線を送った。三十代後半くらいの、無骨な体格の男だった。軍人のような姿勢で立っている。
「安心して。私たちは敵じゃない」少女が微笑んだ。「むしろ、あなたを守りたいと思っている」
「守る? 僕を?」
「黒崎組があなたを狙っているのは知ってるでしょう? でも、私たちがいる限り、あなたに危害は加えさせない」
青木は困惑した。状況が全く理解できない。
「あの、青い鳥って何なんですか? なぜ僕を……?」
「説明は後で。今は安全な場所に移りましょう」
少女は青木の腕を軽く引いた。
「僕は真希。よろしく、青木さん」
第四章 隠れ家での真実
真希に連れられて到着したのは、街外れにある古いビルの一室だった。中は意外にも最新の機器が並んでおり、複数のモニターが点滅している。
「ここは私たちのアジト」
先ほどの男性も到着し、重い口調で自己紹介した。
「俺は山田。元自衛隊だ」
「山田さんは元特殊部隊」真希が補足した。「そして私はハッカー。まあ、元だけど」
「元って……?」
「私、実は元々黒崎組のシステムに侵入していたの」真希は苦笑いした。「でも見つかって、命を狙われるようになった。そこで山田さんに助けられて、今は『青い鳥』として活動してる」
青木は椅子に座り込んだ。
「つまり、あなたたちも黒崎組に狙われている?」
「そういうこと」山田が頷いた。「俺たちは黒崎組の不正を暴こうとしている。特に、彼らが政府高官と結んでいる汚職を」
「あの封筒は?」
「黒崎組と対立組織の間で交わされる予定だった、取引の証拠」真希がキーボードを叩きながら説明した。「でも、あなたが投函してくれたおかげで、私たちはその内容を把握できた」
モニターに封筒の中身が映し出された。そこには確かに、政府高官の名前と金額が記されていた。
「これで黒崎組を追い込める」山田の目が光った。
「でも、問題が一つある」真希が振り返った。「封筒は郵便局で回収される前に、別の組織に奪われてしまった」
「別の組織?」
「白鷺会。黒崎組のライバルよ」
第五章 三つ巴の戦い
「つまり、僕が投函した封筒のせいで……」青木は頭を抱えた。
「責めてるんじゃない」真希が慰めるように言った。「むしろ、あなたのおかげで事態が動いた。今まで証拠を掴めずにいたから」
「でも、封策が白鷺会の手に渡ったということは……」山田が難しい表情をした。
「黒崎組は焦って、より危険な手段に出る可能性がある」真希が付け加えた。
その時、アジトの警報音が鳴り響いた。
「やばい、見つかった!」
真希が慌ててモニターを確認する。ビルの周囲を黒い車が取り囲んでいた。
「裏口から逃げるぞ」山田が銃を手に取った。
「ちょっと待って!」青木が立ち上がった。「僕、何もわからないまま巻き込まれて……でも、これは僕のせいで起きたことですよね」
「青木さん……」
「だったら、僕も一緒に戦います」
真希と山田が顔を見合わせた。
「戦うって、あなた一般人よ?」
「でも、逃げてばかりいても解決しない。あの封筒を取り戻せれば、すべて終わるんですよね?」
山田が小さく笑った。
「面白い男だな、お前。いいだろう、一緒に来い。ただし、俺の指示に従え」
「はい!」
第六章 白鷺会のアジトへ
三人は裏口から脱出し、山田が用意した車で白鷺会のアジトへ向かった。
「白鷺会のボス、白鳥美咲は元検事」真希が説明した。「正義感は強いけど、手段を選ばない。黒崎組を潰すためなら何でもする」
「つまり、敵の敵は味方、ということ?」
「そう簡単じゃない」山田が首を振った。「奴らも結局は犯罪組織だ。正義のためとはいえ、一般市民を巻き込むことを躊躇わない」
車は高級住宅街の一角で停車した。
「あそこがアジト」
指差された先には、白い洋館が立っていた。まさに白鷺を思わせる美しい建物だった。
「どうやって侵入する?」青木が尋ねた。
「正面から行く」山田が意外な答えを返した。
「え?」
「お前が郵便局員だということを利用する。配達と称して侵入するんだ」
真希が偽の封筒を用意し、青木に手渡した。
「これを白鳥美咲に渡すの。中身は私たちからの交渉の申し込み」
「交渉?」
「あの封筒の内容を公開する代わりに、青木さんの安全を保証してもらう」
第七章 美しき敵
白鳥美咲は、想像以上に美しい女性だった。長い黒髪に、鋭い眼差し。元検事らしい知性を感じさせる。
「郵便局の青木さんですね」
彼女は青木を迎え入れると、優雅に微笑んだ。
「あなたのおかげで、興味深いものが手に入りました」
テーブルの上には、あの青い鳥の封筒が置かれていた。
「あの……」
「中身は確認させていただきました。黒崎組の汚職の証拠、実に興味深い」
白鳥は封筒を手に取った。
「これで黒崎組を壊滅させることができる。そうすれば、この街の平和が戻る」
「でも、それって……」
「何か問題でも?」白鳥の目が細くなった。
青木は真希から渡された封筒を差し出した。
「こちらをお渡しするようにと」
白鳥は封筒を開き、中身を読んだ。表情が変わる。
「『青い鳥』からですね。面白い提案だ」
「提案?」
「あなたの安全と引き換えに、この証拠を公開するなと言っている」白鳥は立ち上がった。「しかし、私にはこの街を正す義務がある」
その時、外から銃声が響いた。
「黒崎組が来たようですね」白鳥は動じずに呟いた。
第八章 三つ巴の対決
白鳥邸に黒崎組の男たちが押し入ってきた。先頭に立つのは、写真で見た黒崎その人だった。
「白鳥美咲、封筒を渡してもらおう」
「お断りします」白鳥は毅然と答えた。
その瞬間、別の入り口から山田と真希が現れた。
「青木、大丈夫か?」
「山田さん!」
「なるほど、『青い鳥』も来ましたか」白鳥が興味深そうに言った。「これで役者が揃いましたね」
黒崎が不快そうに顔をゆがめる。
「面倒なことになった。まとめて始末するか」
「ちょっと待ってください!」
青木が三者の間に立った。
「みなさん、この封筒のせいで争っている。でも、本当に大切なのは何ですか?」
「何を言ってる?」黒崎が嘲笑った。
「黒崎さんは自分の犯罪を隠したい。白鳥さんは正義を貫きたい。山田さんたちは街の平和を守りたい」青木は続けた。「でも、そのために人が傷つくのは間違ってる!」
真希が驚いたように青木を見つめた。
「青木さん……」
「僕が提案します」青木は深呼吸した。「証拠は警察に提出する。ただし、関係のない人たちが巻き込まれないように、段階的に公開する」
白鳥が興味深そうに眉を上げた。
「続けてください」
第九章 郵便局員の決意
「僕は郵便局員です」青木は全員を見回した。「人と人をつなぐ仕事をしています。手紙は、誰かの想いを届けるものです」
「綺麗事を」黒崎が吐き捨てた。
「でも、あの封筒も誰かの想いだったんじゃないですか? 正義を求める想い、街を守りたい想い」
青木はあの青い鳥の封筒を見つめた。
「僕は最初、これをただの迷惑な配達物だと思った。でも違った。これは街の未来を変える、大切なメッセージだった」
山田が小さく頷いた。
「青木の言う通りだ。俺たちは争うためにここにいるんじゃない」
「しかし、黒崎組の犯罪は見過ごせません」白鳥が言った。
「だから、正しい方法で裁きましょう」青木が提案した。「証拠を警察に提出し、法に従って処理する。それが一番平和的な解決です」
黒崎が舌打ちした。
「甘い考えだ。だが……」
彼は部下を見回した。警察のサイレンが近づいてくる音が聞こえていた。
「時間がない。撤退する」
「黒崎さん」青木が呼び止めた。
「何だ?」
「逃げても意味がありません。いずれ真実は明らかになる。だったら、自分から出頭した方が……」
「うるさい!」
黒崎は銃を青木に向けた。その瞬間、山田が青木を突き飛ばし、自らが銃弾を受けた。
「山田さん!」
第十章 青い鳥の意味
山田の傷は軽く、すぐに手当てを受けることができた。黒崎は警察に逮捕され、証拠の封筒も適切に処理された。
後日、青木は真希と山田に呼び出された。
「あの時は、本当にありがとう」山田が頭を下げた。
「いえ、僕こそ……」
「青木さん」真希が微笑んだ。「私たち『青い鳥』の正式メンバーになりませんか?」
「え?」
「この街には、まだまだ正義が必要な場所がある」山田が説明した。「お前の正義感と、人とのつながりを大切にする気持ちが必要だ」
青木は少し考えてから答えた。
「お二人と一緒に活動できるなら、喜んで。でも、郵便局員も続けます」
「もちろんです」真希が嬉しそうに言った。「むしろ、それが青木さんらしい」
三人は白鳥邸の庭を歩いていた。そこで青木が気づいた。
「あ、本物の青い鳥だ」
空に美しい青い鳥が舞っていた。
「青い鳥って、幸せの象徴なんですよね」青木が呟いた。
「そうね」真希が空を見上げた。「でも、本当の幸せは、自分の手で掴むものかもしれない」
「俺たちがそうだったように」山田が付け加えた。
青木は微笑んだ。平凡な郵便局員だった自分が、今では街の平和を守る「青い鳥」の一員となった。確かに幸せは、探すものではなく、作るものなのかもしれない。
そして彼は、明日もまた郵便を配達しながら、街の人々の小さな幸せを運び続けるのだった。青い鳥の羽根のように、軽やかに、そして確実に。
エピローグ
それから半年後。青木は相変わらず郵便局員として働いている。しかし、彼の配達ルートには新しい意味があった。街の様子を見回り、困った人がいれば『青い鳥』として手を差し伸べる。
「青木さん、お疲れさま」
郵便局で声をかけてきたのは、新人の配達員だった。
「今日も平和でしたね」
「ああ」青木は微笑んだ。「でも、平和は作るものだからね。気を抜かずに行こう」
彼のポケットには、いつも青い羽根が一枚入っている。あの日の封筒に描かれていた青い鳥の羽根を模した、真希からの贈り物だ。
街に夕陽が沈む中、青木は今日も無事に任務を終えた。明日もまた、人々の想いを運ぶために、そして街の平和を守るために、彼は歩き続ける。
青い鳥のように、自由に、そして希望を胸に。