リベンジノート
プロローグ
「また明日、よろしく」
成瀬翔太の嘲笑混じりの声が、中学三年生の佐倉悠斗の心に深く突き刺さった。教室の隅で、悠斗は拳を握りしめながら、翔太たちが去っていく背中を見つめていた。
明日もまた、パシリをさせられる。
明日もまた、黒崎陸に殴られる。
明日もまた、白石怜奈に馬鹿にされる。
しかし、悠斗の瞳には諦めではなく、静かな炎が宿っていた。
「絶対に、見返してやる」
その日、悠斗は一冊のノートを買った。表紙に「REVENGE NOTE」と英語で書かれたそのノートに、彼は復讐計画を記し始めた。
第一章 経済戦争
高校卒業から五年後——
「成瀬商事の買収提案書です」
東京の高層ビルの一室で、スーツに身を包んだ悠斗が資料を差し出した。向かいに座る中年男性——成瀬翔太の父親は、震える手でその資料を受け取った。
「君は一体…」
「佐倉悠斗と申します。株式会社サクラテックの代表取締役です」
翔太の父親の顔が青ざめた。サクラテックといえば、この三年で急成長を遂げたIT企業。まさかこんな若い男が社長だったとは。
数日後、成瀬商事の社員食堂で——
「おい、佐倉…まさか本当にお前が…」
翔太は信じられないといった表情で悠斗を見つめた。中学時代、自分がパシリに使っていた大人しい少年が、今や自分の上司として目の前に立っている。
「久しぶりだね、成瀬くん」悠斗は穏やかに微笑んだ。「これからよろしく。部下として」
翔太の顔が屈辱で歪んだが、もはや何も言い返すことはできなかった。
第二章 血と汗のリング
「次は黒崎陸選手の入場です!」
アナウンサーの声がリング上に響く。観客席から黒崎陸が現れた時、悠斗は静かに拳を握った。
あれから毎日、ボクシングジムに通った。プロのトレーナーに師事し、肉体を極限まで鍛え上げた。何度倒れても、何度吐血しても、諦めなかった。
「対戦相手は…佐倉悠斗選手!」
リングサイドで、陸の表情が一瞬止まった。まさか、あの悠斗が?
「よう、黒崎。元気そうだな」
グローブをはめた悠斗が、リングの向こうから声をかけた。その体格は中学時代とは見違えるほど引き締まっている。
「お前…本当に佐倉か?」
「三年間、君に勝つためだけに練習してきた」悠斗の瞳に闘志が宿る。「今日、決着をつけよう」
ゴングが鳴った。
一ラウンド目、陸の強打が悠斗を襲う。しかし、悠斗は冷静にガードし、カウンターを狙う。
二ラウンド目、悠斗のジャブが陸の顎を捉える。観客席がざわめいた。
三ラウンド目——
「うおおおお!」
悠斗の渾身の右ストレートが陸のテンプルに炸裂した。陸の体が崩れ落ちる。
「10カウント!勝者、佐倉悠斗!」
リングの上で、悠斗は拳を天に向けて突き上げた。
第三章 知の頂点
「それでは、優勝者の発表を行います」
一流企業サンシャインコーポレーションの企画コンペ会場。白石怜奈は自信に満ちた表情で壇上を見つめていた。
「優勝者は…匿名希望のY.S様です。前に出て、お名前を教えていただけますか?」
会場の後方から、スーツ姿の男性が立ち上がった。その瞬間、怜奈の表情が凍りついた。
「佐倉悠斗です」
会場がざわめく中、悠斗は壇上に向かって歩いた。怜奈の目は信じられないというように見開かれている。
「素晴らしいプレゼンテーションでした。まさかこれほど完成度の高い企画が出てくるとは…」司会者が興奮気味に語る。
悠斗は怜奈の前に立ち、静かに言った。
「成績なんて関係ない。大切なのは結果だ」
中学時代、テストの点数で自分を見下していた怜奈。その彼女が、今は自分の企画力の前にひれ伏している。
「佐倉…君…」怜奈は震え声で呟いた。
第四章 空虚な勝利
その夜、悠斗は自宅の書斎で古いノートを開いていた。「REVENGE NOTE」と書かれた表紙。ページをめくると、中学時代に書いた復讐計画が並んでいる。
成瀬翔太…買収完了。
黒崎陸…ボクシング勝利。
白石怜奈…企画コンペ優勝。
すべてにチェックマークが付けられている。
「やったぞ…全部やりとげた」
しかし、なぜだろう。胸の奥に空虚感が広がっていく。
翌日、オフィスで翔太が資料を持ってきた。
「佐倉社長、こちらの件、いかがでしょうか」
彼の態度は丁寧だが、どこか悲しげだった。家族を養うために、屈辱を飲み込んで働いている。
夕方、ジムで陸に出会った。
「悠斗…あの時は参ったよ。でも、お前が強くなった理由、わかる気がする」
陸は苦笑いを浮かべながら言った。
「俺も、お前にひどいことをしたって、ずっと後悔してたんだ」
エピローグ 新しい始まり
一週間後、悠斗は三人を呼び出した。場所は中学時代の校舎が見える公園のベンチ。
「なぜ俺たちを?」翔太が困惑した表情で尋ねた。
「君たちに謝りたくて」
悠斗の言葉に、三人は驚いた。
「俺は復讐に取り憑かれて、君たちを見返すことしか考えてこなかった。でも、それで本当に幸せになれたのか?答えはノーだった」
悠斗はリベンジノートを取り出し、三人の前に置いた。
「君たちが俺にしたこと、確かに辛かった。でも、俺も君たちを憎むことで、自分の心を蝕んでいた」
「佐倉…」怜奈が小さく呟く。
「これからは、復讐じゃなくて、みんなで前に進めたらいいなと思うんだ。もちろん、すぐには無理かもしれないけど」
陸が立ち上がって、悠斗の前に手を差し出した。
「こちらこそ、すまなかった。お前を苦しめて」
翔太も続く。
「俺も…本当にごめん」
最後に怜奈が、涙を浮かべながら言った。
「私も…ひどかった。でも、あなたがこんなに成長して…私、誇らしいよ」
四人は、夕日の中で笑い合った。
悠斗は、リベンジノートの最後のページに書いた。
「復讐完了。でも、本当に大切なのはここからだ。新しい人生を、今度は恨みじゃなく、希望と一緒に歩んでいこう」