星屑のタイムワープ
第一章 光る宙船
「うわあ、すげえ……」
ハルト・タカハシは、宇宙船「スターライト・エクスプレス」の巨大な観測窓に顔を押し付けるようにして、宇宙の景色に見入っていた。十八歳になったばかりの彼にとって、これが生まれて初めての宇宙旅行だった。
地球軌道上の宇宙港から出発した豪華客船は、今まさに月の軌道を越えようとしている。窓の向こうには、教科書でしか見たことのない満天の星々が、まるでダイヤモンドの砂をばらまいたように輝いていた。
「初めてですか?」
隣の席に座っていた中年の男性が、微笑みながら声をかけてきた。
「はい。父が宇宙関連の仕事をしているんですが、僕自身は地球から出たことがなくて」
ハルトは頬をかきながら答えた。実際のところ、父親は宇宙開発公団の事務職員で、決して裕福ではない。今回の旅行も、ハルトの高校卒業祝いに両親が必死に貯めたお金で実現したものだった。
「それは素晴らしい。私はもう何十回も宇宙に出ていますが、この景色には慣れませんね」
男性はそう言って、再び窓の外を見つめた。
船内は快適そのものだった。重力制御システムにより、地球にいるのと変わらない感覚で過ごすことができる。食堂では本格的なフランス料理が提供され、娯楽室では最新のVRゲームを楽しむことができた。しかし、ハルトにとって何よりも魅力的だったのは、やはりこの宇宙の絶景だった。
三日目の夜——宇宙では昼夜の区別はないが、船内時間では午後十時頃——ハルトは一人で観測デッキにいた。他の乗客たちは食堂やバーで談笑している時間帯だった。
「明日はいよいよ木星だな」
ハルトは旅行パンフレットを見ながら、明日の予定を確認していた。木星の大赤斑を間近で見られるというのが、今回のツアーの目玉の一つだった。
その時だった。
突然、船内に眩いばかりの光が満ちた。それは白というよりも虹色で、まるで宇宙そのものが発光しているかのようだった。光は一瞬——本当に一瞬だった。ハルトは反射的に目を閉じ、手で顔を覆った。
「うわっ!」
しかし、目を開けると、何事もなかったかのように静寂が戻っていた。観測デッキには相変わらず美しい星空が広がり、船内の照明も普段通りだった。
「え?」
ハルトは辺りを見回した。遠くの食堂からは、乗客たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。誰も異常に気づいた様子はない。
「気のせい……だったのかな?」
しかし、あの光は確かに見えた。それも、これまで体験したことのないような、不思議な光だった。
第二章 違和感の芽
翌朝、ハルトは食堂で朝食を取りながら、昨夜の出来事について考えていた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
昨日話した中年の男性——佐藤さんという名前だった——が声をかけてきた。
「あ、おはようございます。えーっと、昨夜、変な光を見ませんでしたか?」
「光? いえ、特に……。どんな光でしょう?」
「すごく眩しくて、虹色みたいな……」
佐藤さんは首をかしげた。
「申し訳ありませんが、私は早めに部屋に戻ってしまったので。もしかして、エンジンの点検で照明が点灯したのかもしれませんね」
「そうかもしれません」
ハルトは曖昧に答えたが、心の中では納得できずにいた。あの光は、船の照明などではなかった。もっと根本的な、宇宙そのものから発せられたような光だった。
その日の木星観測は素晴らしいものだった。巨大なガス惑星の美しい縞模様と、有名な大赤斑を間近で見ることができた。しかし、ハルトの心には、あの光のことが常に引っかかっていた。
そして、旅行は順調に進み、一週間後、「スターライト・エクスプレス」は地球へと帰還した。
第三章 帰還後の疑問
「お帰りなさい、ハルト! どうだった?」
宇宙港で両親が出迎えてくれた。母の恵子は息子を抱きしめ、父の誠も嬉しそうに微笑んでいた。
「すごかった! 木星の大赤斑も、土星の輪も、本当にきれいで……」
ハルトは興奮気味に旅の話をした。しかし、あの光のことについては、なぜか話すことができなかった。
家に帰ると、ハルトは久しぶりの自分の部屋でほっと一息ついた。しかし、何かが違う。部屋の配置も、家族の様子も、すべて出発前と同じはずなのに、微妙な違和感があった。
「なんだろう、この感じ……」
ハルトは首をかしげた。具体的に何が違うのかは分からない。しかし、確実に何かが変わっていた。
その夜、ハルトは庭に出て夜空を見上げた。すると、今まで見たことのないほど美しい星空が広がっていた。星の数も、輝きも、明らかに以前より増している。
「こんなにはっきり見えたっけ?」
東京の郊外とはいえ、光害でこれほどくっきりと星が見えることはなかった。しかし今夜は、まるで山奥にいるかのように満天の星が輝いている。
その時、ハルトは気づいた。星の配置が、微妙に違う。
「え? カシオペア座がこんな位置だったっけ?」
ハルトは天文学が趣味で、星座については詳しかった。しかし、今夜の星空は、彼の記憶とは少し違っていた。
翌日、ハルトは図書館に行き、天文関係の資料を調べた。しかし、どの資料を見ても、現在の星空は正しい配置になっている。まるで、彼の記憶の方が間違っているかのように。
「おかしい……」
図書館からの帰り道、ハルトは偶然、宇宙旅行時代の同級生、美咲と出会った。
「ハルト! お疲れさま。宇宙旅行はどうだった?」
「あ、美咲。えーっと、すごく良かったよ」
「そうなんだ。ねえ、宇宙から帰ってきて、何か変わったことない?」
美咲の何気ない質問に、ハルトはドキリとした。
「変わったこと?」
「うん。なんとなくだけど、前より……大人っぽくなったというか。雰囲気が変わった気がする」
ハルトは困惑した。自分では何も変わったつもりはない。しかし、美咲のような親しい友人が感じるということは、本当に何かが変わったのかもしれない。
第四章 時の狭間で
その夜、ハルトは再び夜空を見上げていた。星々は相変わらず美しく輝いているが、どこか不自然さを感じる。
「あの光は、一体何だったんだろう?」
ハルトは宇宙旅行での出来事を思い返していた。そして、徐々に確信を抱くようになった。あの光を境に、何かが変わったのだ。
彼は自分の記憶を慎重に辿った。宇宙旅行に出発する前の記憶と、帰還後の記憶を比較してみる。すると、わずかながら違いがあることに気づいた。
出発前、隣の田中さんの家には赤い屋根があったはずだ。しかし今は青い屋根になっている。商店街の本屋さんの看板も、確か「山田書店」だったはずなのに、今は「山口書店」になっている。
「まさか……」
ハルトの心に、とんでもない仮説が浮かんだ。
あの光は、ただの光ではなかった。時間そのものを歪ませる何かだったのではないか。そして、「スターライト・エクスプレス」は、その光を浴びることで、わずかに異なる時間軸に移動してしまったのではないか。
「タイムワープ……?」
それは荒唐無稽な話のように思えた。しかし、これまでの体験を説明できる唯一の仮説でもあった。
第五章 光の正体
翌日、ハルトは父の誠に相談してみることにした。宇宙開発公団に勤める父なら、何か知っているかもしれない。
「父さん、宇宙で変な光を見ることってある?」
「変な光? どんな光だい?」
ハルトは宇宙旅行での体験を詳しく話した。誠は真剣に聞いていたが、やがて困った顔をした。
「うーん、正直言って、そんな現象は聞いたことがないな。でも……」
「でも?」
「実は、最近、同僚の間で奇妙な話が出ているんだ。宇宙旅行から帰ってきた人たちの中に、微妙な記憶の違いを訴える人がいるらしい」
ハルトは身を乗り出した。
「どんな違い?」
「些細なことなんだが、出発前の記憶と帰還後の現実に、わずかなズレがあるという報告だ。ただ、医学的には宇宙酔いの一種として処理されている」
「宇宙酔い?」
「宇宙の環境が脳に与える影響で、一時的に記憶が混乱することがあるんだ。でも……」
誠は声を落とした。
「もしハルトの体験が本当なら、もっと大きな何かが起きているのかもしれない」
その日の夜、ハルトは再び夜空を見上げた。すると、一つの流れ星が流れた。しかし、それは普通の流れ星ではなかった。虹色に輝き、まるであの時の光のような色合いをしていた。
「あれだ……」
ハルトは直感した。あの流れ星こそが、すべての謎を解く鍵だった。
彼は急いで部屋に戻り、パソコンで流れ星について調べた。すると、最近、世界各地で虹色の流れ星が目撃されているという報告があった。そして、それらの流れ星を見た人たちの中に、時間に関する不可解な体験をする人が現れているという。
「やっぱり……」
ハルトの推測は正しかった。あの光は、時間を操る何らかの宇宙現象だったのだ。
第六章 星屑の真実
数日後、ハルトのもとに思いがけない来訪者があった。宇宙旅行で出会った佐藤さんだった。
「突然お邪魔してすみません。実は、あなたに話したいことがあって」
佐藤さんは深刻な表情をしていた。
「あの夜、あなたが言っていた光のことです。実は、私も見ていたんです」
「え?」
「あの時は否定しましたが、実際には私も同じ光を見ました。そして……」
佐藤さんは言いにくそうに続けた。
「帰還後、私の人生に奇妙な変化が起きています。まるで、少しだけ違う世界に来てしまったような」
ハルトは身を乗り出した。
「どんな変化ですか?」
「妻との出会いの記憶が微妙に違うんです。私の記憶では雨の日に出会ったはずなのに、妻は晴れの日だったと言う。息子の誕生日も、一日ずれている」
それは、ハルトが体験していることと同じだった。
「実は、他にも何人かの乗客から同じような相談を受けました」佐藤さんは続けた。「どうやら、あの光を直接見た人だけに起きている現象のようです」
「あの光は、一体何だったんでしょう?」
「それを調べるために、私たちは小さなグループを作りました。『星屑の会』と呼んでいます。よろしければ、あなたも参加しませんか?」
ハルトは迷わず頷いた。
第七章 時を旅する者たち
「星屑の会」のメンバーは、ハルトを含めて七人だった。全員が「スターライト・エクスプレス」の乗客で、あの虹色の光を目撃していた。
会のリーダーは佐藤さんで、本名を佐藤研一という。彼は実は宇宙物理学の研究者だった。
「皆さんの体験を総合すると、あの光は『時間断層』とでも呼ぶべき現象だったと考えられます」
研一は資料を配りながら説明した。
「宇宙には、時空を歪ませる様々な現象があります。ブラックホールがその代表例ですが、それ以外にも、時間の流れを変える現象は理論的に予想されています」
「つまり、私たちは時間旅行をしたということですか?」若い女性の麻衣が尋ねた。
「正確には、微小なタイムシフトを経験したと考えられます。過去や未来に大きく移動したのではなく、ほんの僅か——おそらく数秒から数分程度——時間軸がずれた世界に移動したのでしょう」
「それで記憶と現実にズレが生じているんですね」ハルトが納得したように言った。
「その通りです。そして問題は、このような現象が今後も起こる可能性があることです」
研一は深刻な表情で続けた。
「最近の観測データによると、太陽系内で時空の歪みが増加している兆候があります。あの虹色の流れ星も、その現れの一つでしょう」
第八章 新たな旅立ち
それから数週間、「星屑の会」のメンバーたちは、時間断層の謎を解明するために調査を続けた。そして、驚くべき事実が判明した。
「皆さん、重大な発見がありました」
研一が緊急会議を招集した。
「どうやら、私たちが体験した現象は、偶然ではなかったようです」
「どういうことですか?」
「宇宙には『時の番人』とでも呼ぶべき存在がいるという仮説があります。時間の流れを監視し、必要に応じて修正を行う存在です」
「それって、SFの話じゃないですか?」麻衣が困惑したように言った。
「確かに荒唐無稽に聞こえます。しかし、私たちが体験した現象を説明するには、それしかありません」
研一は続けた。
「そして、その『時の番人』が、私たちに何らかのメッセージを送ろうとしているのかもしれません」
「メッセージ?」
「あの光を見た人たちには、ある共通点があります。皆、時間に対して深い関心を持っている人たちです」
ハルトは思い返した。確かに、彼は子供の頃から時間の概念に興味を持っていた。タイムマシンの話や、相対性理論の本を読むのが好きだった。
「もしかして、私たちは選ばれたんでしょうか?」
「その可能性があります。そして、もし本当にそうなら、私たちには使命があるのかもしれません」
第九章 星屑の導き
その夜、ハルトは一人で夜空を見上げていた。星々は相変わらず美しく輝いているが、今は違って見えた。まるで、何かを語りかけてくるような気がした。
「君も感じているね」
振り返ると、研一が立っていた。
「佐藤さん……」
「研一でいいよ。私たちはもう、普通の関係ではないからね」
研一はハルトの隣に立った。
「君は若いから、まだ可能性に満ちている。私たちのような年配者とは違って」
「何を言っているんですか?」
「時間旅行には、若いエネルギーが必要なんだ。そして君には、それがある」
研一は夜空を見上げた。
「実は、私たちはもう一度、あの光に遭遇する機会があるかもしれない」
「え?」
「最新の観測データによると、来月、地球近傍で大規模な時空歪みが発生する予測が出ている。その時、私たちは再び時間の狭間を旅することになるかもしれない」
ハルトの心は躍った。あの不思議な体験を、もう一度できるかもしれない。
「でも今度は、準備をして臨みたい。君の若い感性と好奇心が、きっと鍵になる」
「僕に何ができるでしょうか?」
「まずは、時間について学ぶことだ。物理学的な知識も大切だが、それ以上に重要なのは、時間に対する直感だ」
第十章 時を超えて
一ヶ月後、予測通り大規模な時空歪みが発生した。「星屑の会」のメンバーたちは、特別に建設された観測施設で、その瞬間を待っていた。
「もうすぐです」研一が機械を見ながら言った。
ハルトは緊張していた。前回は偶然の出来事だったが、今度は意図的に時間断層に遭遇しようとしている。
「来ます!」
突然、施設全体が虹色の光に包まれた。前回よりもはるかに強烈で、美しい光だった。
ハルトは今度は目を閉じなかった。光の中に、何かの意志を感じたからだ。
そして、光の中で彼は見た。無数の時間軸が交差する空間を。過去と未来が渦巻く、時の大海を。
『よく来た、若き旅人よ』
声が聞こえた。いや、声というより、直接心に響く何かだった。
『君たちは選ばれし者たち。時の流れを守る使命を託されし者たちだ』
「時の流れを守る?」ハルトは心の中で問いかけた。
『時間は生きている。そして時に病み、歪む。君たちの役割は、その歪みを正すことだ』
光がより一層強くなった。
『これより君たちは、真の時の旅人となる。過去と未来を繋ぐ存在として』
エピローグ 新たな始まり
光が消えた時、ハルトたちは元の観測施設にいた。しかし、何かが根本的に変わっていた。
「みんな、感じるか?」研一が言った。
全員が頷いた。彼らには今、時間の流れが見えるようになっていた。過去の残響、未来の予兆。そのすべてが、彼らには感知できるようになっていた。
「僕たち、本当に時の番人になったんですね」ハルトが感慨深げに言った。
「ああ。これからは、時間の歪みを修正する旅が始まる」
研一は微笑んだ。
「でも心配はいらない。君たちは若い。この新しい世界を楽しみながら、使命を果たしていけばいい」
ハルトは夜空を見上げた。星々は以前にも増して美しく輝いて見えた。そして今、彼にはその一つ一つが、異なる時代の光であることが分かった。
過去から届く光、現在の光、そして未来からの光——それらすべてが、今この瞬間に集約されている。
「すごいな……」
ハルトは呟いた。これまで当たり前だと思っていた時間が、実はこんなにも豊かで複雑な存在だったなんて。
そして彼は決意した。この新しい力を使って、時間の美しさを守っていこうと。
星屑のように煌めく時の破片を集めながら、真の時間旅行者としての人生を歩んでいこうと。
宇宙の彼方から聞こえてくる時の調べに耳を傾けながら、ハルトは新たな冒険への第一歩を踏み出した。
時を超えた旅人として。
星屑の光に導かれて。