夏祭りの雨宿り
第一章 夕暮れの石段
夏の暑さが少しだけ和らぐ夕方、僕――ハルキは、いつものメンバーと神社へ向かう石段を登っていた。
「はあ、はあ……毎年思うけど、この石段きっついよな」
ケンタが汗を拭いながら弱音を吐く。小学生の頃から変わらず、体力だけは人一倍ないくせに、祭りとなると誰よりも張り切るのが彼の特徴だった。
「もう、ケンタったら。まだ半分も登ってないじゃない」
アヤカが振り返って苦笑いを浮かべる。浴衣姿の彼女は、いつもよりちょっと大人っぽく見えて、僕は思わず目を逸らしてしまった。
「そうそう、去年なんてケンタ、金魚すくい始まる前にバテてたもんね」
もう一人の幼馴染、ミユキがクスクスと笑いながら口を挟む。
「それは言わない約束だったじゃないか!」
ケンタの抗議を聞きながら、僕たちは賑やかに石段を登り続けた。空は燃えるような赤色に染まり、長い石段を登るたびに祭りの賑やかな音が大きくなっていく。太鼓の音、笛の音、そして人々の楽しそうな声が混ざり合って、夏の夜の特別な空気を作り出していた。
「あ、見えた見えた!」
ミユキが指差す方向を見ると、境内に並ぶ屋台の明かりがちらちらと見えてくる。提灯の暖かい光が、まるで僕たちを迎え入れるように揺れていた。
第二章 祭りの夜
境内は人でごった返していた。老若男女問わず、みんな思い思いに夏の夜を楽しんでいる。僕たちも自然と笑顔になって、祭りの輪の中へ飛び込んでいった。
「よし、まずは射的からいこうぜ!」
ケンタが真っ先に射的の屋台へ向かう。狙いを定めて――そして案の定、全部外した。
「はい、次の方どうぞー」
店主のおじさんの声に、ケンタは肩を落として戻ってくる。
「俺の番だ」
僕が銃を構えると、なぜかみんなの視線が集まった。プレッシャーを感じながらも、なんとか景品を一つゲットすることができた。
「さすがハルキ!」
アヤカが手を叩いて喜んでくれる。その笑顔を見ていると、なんだか照れくさくて、僕は慌てて景品を彼女に差し出した。
「あ、ありがとう」
アヤカが小さなぬいぐるみを受け取る時、僕たちの指が少し触れた。一瞬、時が止まったような気がして――
「おーい、金魚すくいやろうぜ!」
ケンタの声で我に返る。なんだか顔が熱くなっているのを感じながら、僕は彼についていった。
その後、僕たちは金魚すくいに挑戦し(結果は散々だった)、かき氷を食べ、輪投げをして、思い思いに夏の夜を楽しんだ。いつものメンバーで、いつものように過ごす夏祭り。それがこんなに特別に感じられるのは、きっと――
「あれ、雲行きが怪しくない?」
ミユキの声で空を見上げると、さっきまで夕焼けで赤く染まっていた空が、いつの間にか重い雲に覆われていた。
第三章 突然の雨
空が急に暗くなったかと思うと、雷鳴が響いた。
「うわあああ!」
ケンタが大げさに震え上がる。
「雨が降りそう……」
アヤカが心配そうに空を見上げた瞬間、ポツリと頬に雨粒が当たった。そして、まるで天が決壊したかのように、滝のような雨が降り出した。
「うわあああ!今度は本当にやばい!」
僕たちは慌てて雨宿りできる場所を探した。祭りに来ていた人たちも皆、慌てて軒下や屋台の下に駆け込んでいく。
「こっち、こっち!」
ミユキが指差した方向に、神社の本殿裏にある古い社があった。普段はあまり人が近づかない、少し薄暗い場所だったが、雨宿りには十分だった。
僕たちは息を切らして社の中に駆け込んだ。外では土砂降りの雨が容赦なく降り続いている。
「すごい雨だね」
アヤカが不安そうにつぶやく。社の中は思っていたより広く、古い木の匂いがした。薄暗い中で、僕たちは肩を寄せ合って座っていた。
「こんな古い社、あったっけ?」
ケンタがきょろきょろと辺りを見回す。確かに、僕も記憶が曖昧だった。でも、今はそんなことより雨が止むのを待つしかない。
土砂降りの雨音と、遠くに聞こえる祭りの音が混ざり合っている。屋台の人たちも雨宿りをしているのか、さっきまでの賑やかさは嘘のように静まっていた。でも、完全に音が消えたわけではない。まるで、どこか遠くから聞こえてくるような、不思議な感覚だった。
「なんか、変な感じだね」
ミユキがぽつりと言った。僕も同じことを感じていた。時間の感覚が曖昧になるような、現実感の薄い、不思議な時間だった。
どれくらい経っただろうか。いつの間にか、雨音が小さくなっていることに気づいた。
「あ、止んだみたい」
アヤカが社の外を覗く。確かに、激しい雨は嘘のように止んでいた。そして、遠くから再び祭りの賑わいが聞こえてきた。
「よし、戻ろうか」
僕たちは社を出て、再び祭りへと向かった。
第四章 何かが違う
祭りは何事もなかったかのように続いていた。でも、何かがおかしかった。
「あれ、さっきまであった焼きそばの屋台、なくない?」
ケンタが首をかしげる。
「え、そうかな?」
僕も見回してみたが、確かに屋台の並びが少し違うような気がした。でも、雨の後で店主が場所を移動したのかもしれない。
「提灯の明かりも、なんかぼんやりしてない?」
ミユキが指摘するが、僕には良くわからなかった。きっと雨で濡れたせいだろう。
でも、確かに何かが違う。人々の話し声も、どこか遠くから聞こえてくるような感じがした。まるで、厚いガラス越しに見ているような、そんな違和感があった。
「気のせいだよ、きっと」
僕は自分に言い聞かせるように言った。そして、僕たちは再びお祭りを楽しんだ。でも、さっきまでのような心からの楽しさは、なぜか感じられなかった。
第五章 帰り道の驚愕
やがて祭りも終わりの時間が近づいた。境内に響いていた太鼓の音も止み、屋台の明かりも一つずつ消えていく。
「そろそろ帰ろうか」
僕の提案に、みんながうなずいた。賑やかだった参道も静まり返り、祭りの余韻だけが漂っている。提灯の明かりが、僕たちの足元をぼんやりと照らしていた。
石段を下りながら、僕たちは今日一日の出来事について話していた。
「射的、今度は絶対当ててやる」
「ケンタの『絶対』ほど当てにならないものはないよね」
「ひどいなあ、ミユキちゃん」
いつものやりとりに笑いながら、僕たちは石段を下り切った。そして、いつもの帰り道へ出た瞬間――
僕たちは言葉を失った。
「え……?」
アヤカが小さく声を漏らす。
いつも見慣れたはずの風景が、全く違うものに変わっていた。
いつもなら角にあるはずのコンビニがない。代わりに、古めかしい看板の商店が建っている。街灯も、見慣れない形のものに変わっていた。
「ちょっと待てよ……」
ケンタが震え声で言う。
「あのバス停……」
ミユキが指差すバス停には、僕たちが聞いたことのない地名が書かれていた。『桜ヶ丘駅前』『月見が浜』『星野町三丁目』……どれも知らない場所ばかりだった。
「おい、これ……」
僕は言いかけて、言葉を失った。
道路の向こうに見える建物も、すべて見覚えのないものだった。古い木造の家屋が立ち並び、まるで昭和初期にタイムスリップしたかのような光景が広がっている。
「夢……だよね?」
アヤカが不安そうにつぶやく。
でも、夏の夜の涼しい風は確かに僕たちの肌に触れていたし、遠くから聞こえる虫の声も現実のものだった。
「あの社で雨宿りした時……」
ミユキが振り返る。神社の方を見ても、さっきまでいた場所がどこなのか、よくわからなかった。
僕たちは、いつの間にか別の世界へと迷い込んでしまったことに気づいた。雨宿りをしたあの短い時間の間に、僕たちはどこか別の場所――いや、別の世界へと迷い込んでしまったのだ。
エピローグ 新しい世界の始まり
「とりあえず、落ち着こう」
僕は震える声で言った。パニックになっても仕方がない。
「そうだね。まずは、この世界がどんな場所なのか確かめてみよう」
アヤカも気を取り直したようだった。
「もしかして、元の世界に戻る方法もあるかもしれないし」
ミユキが希望を込めて言う。
「そうだな。神社に戻れば、何かわかるかもしれない」
ケンタも、いつもの調子を取り戻しつつあった。
僕たちは手を取り合い、この不思議な世界での新しい冒険を始めることになった。夏祭りの夜に始まった、僕たちだけの特別な物語。それがどんな結末を迎えるのか、僕たちはまだ知らない。
でも、一つだけ確かなことがあった。僕たちは一緒だということ。どんな世界に迷い込んでも、この仲間がいれば大丈夫だと、なぜか確信していた。
遠くで時を告げる鐘の音が響く。僕たちの新しい冒険が、今、始まろうとしていた。