宇宙ビジネスの光と影
第一章 月面の孤独
西暦2087年、月面第三採掘基地。
「また今日も定時越えか……」
佐藤ケンジは作業服の汗を拭いながら、月面の地平線に浮かぶ青い地球を見上げた。美しい故郷は、今では手の届かない夢の彼方にある。
月面採掘労働者として三年。故郷の家族に仕送りを続けるため、五年契約で月にやってきた。しかし現実は甘くなかった。
「ケンジ、お疲れさま」
振り返ると、同僚の田中リサが疲れた表情で近づいてきた。彼女もまた、地球の貧困地区出身の労働者だった。
「また採掘ノルマが上がったって聞いたけど、本当？」
ケンジは苦い顔をした。「ああ。来月から二割増しだそうだ。それでも給料は据え置き」
月面の希少金属「ルナリウム」は、地球のエネルギー問題を解決する夢の素材として注目されていた。しかし、その採掘権はすべて巨大企業コンソーシアム「ステラー・インダストリーズ」が独占している。
「地球の富裕層は宇宙旅行を楽しんでるっていうのに、私たちは……」
リサの言葉に、ケンジは黙って頷いた。確かに最近、豪華な観光宇宙船が月の軌道を通過していくのをよく見かけた。一回の旅行費用は、彼らの年収の百倍以上だろう。
第二章 地球の現実
同じ頃、地球東京の下町。
「電気代がまた上がった……」
山田アキラは請求書を見ながら深いため息をついた。宇宙開発ブームで資源が枯渇し、地球のエネルギー価格は高騰を続けていた。
アキラは元宇宙工学エンジニアだったが、大企業の独占により中小企業は次々と倒産。今は小さな修理工場を営んでいる。
「パパ、今日も給食費が払えないって先生に言われちゃった」
七歳の娘・ユイの言葉に、アキラの胸は痛んだ。宇宙開発で潤うのは一部の大企業と富裕層だけ。一般市民の生活は悪化の一途を辿っていた。
その時、工場のドアがノックされた。
「山田さん、お忙しいところすみません」
現れたのは、スーツを着た中年男性だった。名刺には「地球市民連合 代表 森田ヒロシ」とある。
「地球市民連合？」
「宇宙利権の独占に反対する市民団体です。実は、山田さんにお聞きしたいことが」
森田は声を潜めた。「ステラー・インダストリーズの内部情報を持っている元社員がいるんです。彼らの不正を暴けば、この状況を変えられるかもしれない」
第三章 宇宙船の中の陰謀
豪華宇宙客船「セレスティア号」。
「今回の月旅行はいかがでしたか？」
客室乗務員の質問に、ステラー・インダストリーズのCEO、ロバート・スターリングは満足げに微笑んだ。
「素晴らしかったよ。月面のゴルフコースは最高だった」
しかし、スターリングの真の目的は観光ではなかった。極秘会合のためだった。
「では、例の件について話そう」
プライベートルームに集まったのは、世界の宇宙産業を牛耳る大企業のCEOたち。
「地球の反発が強まっている。市民団体が動き始めた」
「問題ない。労働者たちの契約を更新しなければいい。代わりはいくらでもいる」
「それより重要なのは、新たに発見された小惑星の採掘権だ。この情報が外部に漏れる前に独占する必要がある」
彼らは地球の困窮など歯牙にもかけていなかった。宇宙は彼らの私的な遊び場であり、利益追求の場でしかなかった。
第四章 反逆の狼煙
月面基地の食堂。
「おい、聞いたか？地球で大規模なデモが起きてるらしいぞ」
労働者の一人がタブレット端末を見せた。画面には「宇宙利権を市民の手に」というスローガンを掲げるデモ隊の映像が映っていた。
「でも、僕たちには関係ないでしょ？契約があるし……」
「関係ない？」リサが立ち上がった。「私たちは搾取されてるのよ。地球の家族は苦しんでるのに、ここでこき使われて」
ケンジは迷っていた。確かに現状は不満だが、契約違反をすれば多額の違約金を請求される。家族を路頭に迷わせるわけにはいかなかった。
その夜、ケンジの端末に暗号化されたメッセージが届いた。
『月面労働者の皆さん、私たちは地球市民連合の森田です。皆さんの勇気ある行動を求めています。詳細は添付ファイルをご確認ください』
添付ファイルには衝撃的な内容が記されていた。ステラー・インダストリーズの内部文書、労働者への不当な待遇、地球への資源供給を意図的に制限している証拠……
「これが本当なら……」
ケンジは拳を握りしめた。
第五章 決断の時
地球、森田の秘密アジト。
「月面からの情報提供者が現れました」
山田アキラは驚いた。「まさか、月の労働者が？」
「ええ。内部告発する覚悟を決めたようです。しかし、彼らには大きなリスクが伴います」
森田は深刻な表情を浮かべた。「契約違反で訴えられる可能性もある。それでも、真実を世界に伝えたいと言っています」
アキラは自分の過去を思い出した。かつて宇宙開発に夢を抱いていた頃。技術は人類の未来のためにあるべきだと信じていた。
「僕も協力します」
「しかし、アキラさんにも危険が……」
「娘の未来のためです。このままでは、彼女が大人になる頃には格差はもっと広がってしまう」
第六章 暴露
月面基地の通信室。
ケンジとリサ、そして数名の労働者が集まっていた。全員が緊張した面持ちだった。
「本当にやるのか？」
「今更後戻りはできない」ケンジは決意を込めて答えた。
彼らは内部文書をハッキングし、地球の森田たちに送信した。ステラー・インダストリーズの不正、労働者への搾取、資源の独占による価格操作……すべてが白日の下に晒された。
地球では山田アキラが技術面でサポートし、情報を世界中のメディアに拡散した。
「これで世界は変わる」
しかし、その代償は大きかった。
第七章 嵐の後
ニュースは世界を駆け巡った。
「ステラー・インダストリーズ、労働者搾取の実態が明らかに」
「宇宙資源の独占で地球市民を苦しめていた巨大企業」
株価は暴落し、各国政府は宇宙開発の規制強化を検討し始めた。
しかし、月面基地では……
「全員、契約解除だ！すぐに荷物をまとめろ！」
管理者の怒鳴り声が響いた。ケンジたちは予想していた通り、報復を受けることになった。
「違約金は一人あたり五千万円だ。一生かけて返してもらう」
絶望的な金額だった。
第八章 新たな希望
地球帰還から三ヶ月後。
ケンジは東京の小さなアパートで途方に暮れていた。就職活動をしているが、「契約違反者」というレッテルが重くのしかかった。
ドアがノックされた。
「佐藤さんですね？山田アキラと申します」
現れたのは、例の元エンジニアだった。
「あなたのおかげで世界が変わり始めています」
アキラは微笑んだ。「実は、新しい宇宙開発プロジェクトを立ち上げることになったんです」
「新しいプロジェクト？」
「ええ。各国政府が出資して、宇宙資源を公平に分配するシステムを作るんです。労働者の権利もしっかり保護される」
ケンジの目に希望の光が宿った。
「僕にも……参加できるでしょうか？」
「もちろんです。あなたのような勇気ある人材を待っていました」
エピローグ 新たな宇宙時代
西暦2090年、国際宇宙開発機構・月面基地。
「パパ、宇宙はきれいだね」
ケンジは娘の手を握りながら、月面の展望台から地球を見上げていた。家族も月に移住し、今では月面での生活を楽しんでいる。
「ああ、そうだね。でも一番大切なのは、みんなで分かち合うことだよ」
労働環境は劇的に改善され、宇宙で得られる利益は地球の全市民に還元されるようになった。宇宙旅行も手の届く価格になり、多くの人が星空を楽しめるようになった。
リサは月面農業の責任者として働き、山田アキラは新技術開発部門の部長になっていた。彼の娘・ユイも優秀なエンジニアとして成長している。
「ケンジ、新しい報告書が届いてるよ」
リサが手にしていたのは、木星の衛星での新プロジェクトの提案書だった。
「今度はどんな冒険が待ってるかな」
ケンジは笑顔で空を見上げた。宇宙は今、本当の意味で人類全体のものになっていた。
かつてステラー・インダストリーズが独占していた「光」は、今では誰もが享受できる希望となった。そして彼らが作り出していた「影」は、勇気ある人々の行動によって払い拭われていた。
宇宙ビジネスは、ついに人類の未来を照らす真の光となったのだった。