分断されたSNS世代のリアル
第一章 見えない壁
桜丘高校の昼休み、1年B組の教室は静寂に包まれていた。物理的には同じ空間にいるのに、まるで透明な壁で仕切られているかのように、生徒たちは二つのグループに分かれてスマートフォンの画面に集中している。
窓際の席に座る高橋蓮(たかはし れん)は、「青の会」のグループチャットを眺めていた。画面には環境問題への熱いメッセージが次々と流れる。
『また企業の環境破壊のニュースが出てる。大人たちは何もしないつもり?』
『#気候変動対策NOW』
『私たちの世代で変えなきゃ!』
蓮は素早く返信する。『全く同感。学校でもプラスチック削減運動を広めよう』
一方、教室の反対側では、田中優斗(たなか ゆうと)が「赤の盾」のタイムラインをスクロールしていた。
『環境テロリストたちがまた騒いでる』
『経済を無視した理想論ばかり』
『現実を見ろよ』
優斗の指が止まる。青の会への批判投稿だった。彼は迷わず「いいね」を押し、コメントを残した。『感情論じゃ社会は変わらない。データと論理で考えるべき』
二つのグループは、同じ学校の生徒でありながら、SNS上では激しく対立していた。青の会は環境保護や社会正義を重視し、赤の盾は経済成長や現実的な政策を支持する。オンラインでは互いを「意識高い系の偽善者」「冷血な保守野郎」と罵り合う日々が続いていた。
放課後、蓮は図書館で環境問題の資料を調べていた。厚いレポート用紙に向かって真剣に筆を走らせている姿は、SNS上の激しい投稿からは想像できないほど静かで集中していた。
「…海洋プラスチック汚染の現状は深刻で…」
つぶやきながら文章を打つ蓮の声が、偶然通りかかった優斗の耳に届いた。優斗は足を止め、蓮の資料を覗き込んだ。そこには丁寧に調べられたデータと、論理的な文章構成があった。
「意外としっかりした資料だな」
優斗の声に、蓮が顔を上げた。初めて間近で見る「敵」の顔は、SNS上の印象とは全く違っていた。
「え…あ、君は…」
「赤の盾の田中。君は青の会の高橋だろ?」
二人は気まずい沈黙の中で向き合った。オンラインなら即座に反論が飛び交うところだが、リアルの場では言葉が出てこない。
その時、図書館に緊急放送が響いた。
「緊急事態が発生しました。生徒は直ちに体育館に避難してください」
第二章 予期せぬ協力
体育館に駆け込んだ生徒たちを待っていたのは、校長の深刻な表情だった。
「皆さん、残念な報告があります。昨夜の大雨により、校舎の一部に亀裂が発見されました。安全確認のため、明日から一週間、臨時休校となります」
ざわめく生徒たち。しかし校長の話はまだ続いた。
「ただし、来週の文化祭は予定通り開催します。準備期間が短くなってしまいましたが、皆さんで協力して素晴らしい文化祭を作り上げましょう」
蓮と優斗は、それぞれのグループメンバーと慌ててスマートフォンでやり取りを始めた。
青の会のチャットでは:
『文化祭の環境展示、どうする?』
『準備時間がない…』
『オンラインミーティングで準備?』
赤の盾のグループでは:
『経済討論会の準備が…』
『資料の印刷もできない』
『学校使えないって詰んでない?』
翌日、蓮は近くのカフェで一人、パソコンに向かっていた。青の会のメンバーとビデオ通話で打ち合わせをしているが、なかなか進まない。
「やっぱりリアルで集まって作業しないと…」
同じ頃、優斗も別のカフェで同じような悩みを抱えていた。オンラインでの議論は得意だが、実際の準備作業は思うように進まない。
偶然にも、二人は同じ商店街にある文房具店で鉢合わせした。お互いに大量の資料用紙とマーカーを抱えている。
「あ…」
「…」
気まずい空気の中、店員が話しかけてきた。
「学生さんたち、桜丘高校の?文化祭の準備かな。今年は大変ねぇ。うちの店も協力したいけど、一人だと大変でしょ?」
その時、蓮の携帯が鳴った。メンバーの一人から連絡だった。
「蓮、ごめん!バイトが入って今日の準備参加できない」
続けて優斗の携帯も鳴る。
「優斗、親の手伝いで明日も無理になった…」
二人は同時にため息をついた。
店員のおばあさんが優しく声をかけた。
「あんたたち、同じ学校なのに別々に苦労してるのね。一緒にやれば効率的なのに」
蓮と優斗は顔を見合わせた。SNS上では対立しているが、今直面している問題は同じだった。準備時間の不足、人手の不足、場所の確保…。
「…もしかして」
優斗が口を開いた。
「お互いの展示、テーマは違うけど、調査方法とか資料作成のノウハウって共有できるんじゃない?」
蓮は驚いた。敵だと思っていた相手から、まさか協力の提案が出るとは。
「でも、僕たちって…」
「SNSの上では対立してるけど、リアルでは同じ問題を抱えた同級生だろ?」
店員のおばあさんがにっこりと笑った。
「そうよ、そうよ。若いんだから、素直になりなさい」
第三章 オンラインとオフラインの間で
翌日、蓮と優斗は近くの公民館の一室で向かい合っていた。最初は気まずい空気が流れていたが、作業を始めると意外な発見があった。
「君の資料作成スキル、すごいな」
優斗は蓮が作った環境データのグラフを見て感心していた。
「君こそ、論理的な文章構成が上手い。僕、感情的になりがちだから参考になる」
お互いの得意分野を認め合いながら、作業は順調に進んだ。しかし、スマートフォンに通知が来るたびに、二人の表情は複雑になった。
蓮のスマートフォンに青の会からのメッセージ:
『蓮、最近投稿少ないね?』
『まさか敵の工作に惑わされてない?』
『赤の盾の連中がまた詭弁を…』
優斗のスマートフォンには赤の盾から:
『優斗、青の会の偽善にだまされるなよ』
『あいつらの環境テロリストぶり見た?』
『論理で叩き潰してやろうぜ』
二人は画面から目を上げ、気まずそうに見つめ合った。
「オンラインの僕たちって、こんな感じなんだ…」
蓮がつぶやいた。
「リアルで話してみると、全然違うよね」
優斗も同感だった。SNS上では互いを「敵」として認識していたが、実際に会って話してみると、どちらも真剣に社会問題を考える普通の高校生だった。
「僕たち、オンラインでは何と戦ってたんだろう」
蓮の疑問に、優斗は考え込んだ。
「たぶん、相手の本当の姿じゃなくて、自分が作り上げた『敵』のイメージと戦ってたんだと思う」
その日の作業を終えて公民館を出る時、蓮が優斗に尋ねた。
「ねぇ、君は本当に環境問題をどうでもいいと思ってるの?」
「そんなことない。ただ、理想だけじゃ解決しないと思ってる。経済との両立が必要だと」
「僕だって、経済を無視しろなんて思ってない。ただ、このままじゃ取り返しがつかなくなるって焦ってるんだ」
二人は立ち止まり、初めて本音で語り合った。
「…もしかして、僕たちの目標って、そんなに違わないのかも」
蓮の言葉に、優斗は深くうなずいた。
「ゴールは一緒で、アプローチが違うだけかもしれない」
第四章 分断の正体
文化祭まであと三日。蓮と優斗の協力は予想以上に順調で、お互いの展示クオリティは大幅に向上していた。しかし、問題は別のところにあった。
青の会のメンバー、佐藤美咲(さとう みさき)が公民館にやってきた。
「蓮!何やってるの?敵と協力してるって噂、本当なの?」
美咲の後ろには他の青の会メンバーも続いた。同じ頃、赤の盾のメンバー、山田健太(やまだ けんた)も優斗を探して現れた。
「優斗、裏切者って言われてるぞ。どういうことだ?」
公民館の一室に、青の会と赤の盾のメンバーが対峙する構図ができあがった。リアルでの初の「対面」だった。
「みんな、落ち着いて聞いて」
蓮が立ち上がった。
「僕たちは協力することで、お互いの展示をより良いものにできると気づいたんだ」
「協力?敵と協力してどうするの?」
美咲が声を荒げた。
「敵って何だよ」
優斗も立ち上がった。
「俺たちは同じ学校の同級生だろ?なんで敵なんだ?」
健太が鼻で笑った。
「同級生でも考えが違えば敵だろ。お前らの理想論にはうんざりなんだよ」
「理想論?」
美咲が反発した。
「あんたたちの現実って、結局お金のことでしょ?地球の未来より目先の利益」
「はい、始まった。感情論」
健太がスマートフォンを取り出した。
「今の暴言、録画してSNSに上げてやる」
「録画?卑怯な!」
美咲も慌ててスマートフォンを構えた。
「こっちも録画する!」
その瞬間、蓮と優斗は理解した。この対立の正体を。
「みんな、ストップ!」
蓮が二人の間に割って入った。
「僕たちは何をしてるんだ?相手を叩くネタを探してるだけじゃないか」
優斗も同調した。
「SNSで『いいね』を稼ぐために、相手を悪者にしたいだけだろ」
美咲と健太は、スマートフォンを構えたまま固まった。
「違う、私たちは正しいことを…」
「正しいことのために相手を録画して晒すのか?」
蓮の問いに、美咲は言葉を失った。
「健太、お前は赤の盾のメンバーに褒められたいだけじゃないのか?」
優斗の指摘に、健太も反論できなかった。
公民館の一室に重い沈黙が流れた。
第五章 つながりを取り戻す
その夜、蓮は一人でスマートフォンを見つめていた。青の会のグループチャットは相変わらず活発だったが、どの投稿も「敵」への批判ばかりで、建設的な議論は見当たらない。
彼は思い切って、グループに投稿した。
『みんな、ちょっと聞いて。僕たちって、相手を批判することに夢中になって、本来の目標を見失ってない?環境問題を解決したいなら、対立より対話が必要じゃない?』
すぐに反応が返ってきた。
『蓮、洗脳された?』
『敵に取り込まれてる』
『青の会から除名すべきでは?』
同じ頃、優斗も赤の盾のグループで似たような投稿をしていた。
『俺たちは社会をよくしたいんだよな?なら、相手の意見も聞いてみる価値があるんじゃないか?対立だけじゃ何も生まれない』
返ってきた反応は:
『優斗、頭おかしくなった?』
『敵の甘い罠にかかってる』
『赤の盾の恥だ』
二人は同時に気づいた。自分たちが所属するグループが、いつの間にか「敵を叩く」ことが目的になっていることに。
翌朝、蓮と優斗は公民館で落ち込んだ表情で作業をしていた。
「僕たち、グループから浮いちゃったね」
「でも、これが正しいことだと思う」
優斗は蓮を見つめた。
「俺たちが協力して作った展示、客観的に見てどっちも前より良くなってるよな?」
「うん。君の論理的なアプローチと僕の感情に訴えるアプローチ、組み合わせると強力だった」
二人は微笑み合った。SNS上では分断されているが、リアルでは理解し合える。この矛盾した状況が、現代の縮図なのかもしれない。
その時、公民館のドアがゆっくりと開いた。現れたのは美咲だった。
「あの…話があるの」
美咲は恥ずかしそうに俯いていた。
「昨日の夜、考えたの。私たち、いつから相手を論破することが目的になったんだろうって」
続いて健太も現れた。
「俺も同じこと考えてた。SNSで『いいね』もらうために、相手を悪く言うのって…なんか違う気がしてきた」
蓮と優斗は驚いた。昨日あれほど対立していた二人が、まるで別人のようだった。
「実は、二人が協力してるのを見て、ちょっと羨ましかったんだ」
健太が正直に話した。
「SNSでは敵同士でも、リアルでは普通に話せるんだって…」
美咲も続けた。
「私たち、画面の向こうの『敵』と戦ってたけど、本当の相手はここにいる友達だったのね」
第六章 新しいつながり
文化祭当日。桜丘高校の体育館は多くの来場者で賑わっていた。しかし、今年は例年と異なる光景があった。
青の会と赤の盾の展示ブースが、隣り合って設置されていたのだ。
蓮の環境保護展示では、感情に訴える写真と共に、優斗が協力した論理的なデータ分析が展示されていた。来場者は「環境問題は深刻だが、現実的な解決策も示されている」と好評だった。
優斗の経済政策展示では、データに基づく冷静な分析と共に、蓮がアドバイスした「人間の心に響く」表現が加わっていた。「経済的視点も環境への配慮も両立できる」というメッセージが来場者の心を掴んでいた。
二つのブースの間には、新しく作られた小さなコーナーがあった。そこには「対話スペース」という看板が掲げられている。
「異なる意見を持つ人同士が、SNSを離れて直接話し合える場所です」
美咲と健太が案内係を務めていた。
来場者の中には、SNS上で激しく対立している大人たちもいた。しかし、高校生たちが作った「対話スペース」に座ると、なぜか穏やかに話し合いを始めていた。
「君たち、どうしてこんなスペースを作ったの?」
一人の大人が蓮に尋ねた。
「僕たちも最初はSNSで対立してたんです。でも、実際に会って話してみたら、目標は同じで方法が違うだけだったことが分かったんです」
優斗が続けた。
「オンラインだと、相手の人間性が見えなくなる。でもリアルで話すと、みんな真剣に社会をよくしたいと思ってるんだなって」
大人たちは感心した様子で頷いていた。
午後になると、他校の生徒たちも「対話スペース」を見学しに来た。同じような問題を抱える高校生が多いのだ。
「うちの学校も、SNSでのいじめが問題になってる」
「政治的な話題で友達と険悪になった」
「オンラインゲームで仲間割れして、リアルでも話さなくなった」
蓮、優斗、美咲、健太の四人は、それぞれの体験を話して回った。
「大切なのは、相手も自分と同じ人間だって忘れないことです」
美咲が話す。
「SNSでは相手の一部しか見えないけど、リアルではその人の全体が見えるんです」
健太が付け加える。
「オンラインで対立しても、オフラインでは理解し合える可能性があるってことです」
エピローグ 新しい関係
文化祭から一ヶ月後。青の会と赤の盾は依然として存在していたが、以前のような激しい対立はなくなっていた。
蓮と優斗は週に一度、公民館で勉強会を開いている。環境問題と経済政策を両立させる方法を真剣に議論するためだ。
「今日のテーマは『グリーン経済』だ」
優斗が資料を広げる。
「環境保護が新しいビジネスチャンスを生む可能性について考えよう」
蓮も興味深そうに資料を見る。
「再生可能エネルギーの雇用創出効果か。これは面白いね」
勉強会には、美咲や健太も時々参加するようになった。さらに、文化祭を見学した他校の生徒たちも加わることがある。
SNSでの投稿も変わった。以前は相手を批判する投稿ばかりだったが、今は「○○について、異なる視点から議論してみませんか?」という建設的な投稿が増えている。
蓮のTwitter:
『環境問題について、経済的視点からの意見も聞いてみたいです。対立じゃなく、対話で解決策を見つけませんか? #環境と経済の両立 #対話で未来を』
優斗のTwitter:
『経済政策を考える時、環境への影響も無視できませんね。理想と現実のバランスを一緒に考えてくれる人、いませんか? #持続可能な発展 #建設的議論』
二人の投稿には、以前とは違う種類の反応が集まっている。批判や攻撃ではなく、真摯な意見交換が生まれている。
春の新学期。桜丘高校に新入生が入ってきた。彼らも早速、様々なSNSグループに参加し始めている。
蓮と優斗は、新入生向けのオリエンテーションでこんなメッセージを伝えた。
「SNSは便利なツールです。でも、画面の向こうにも、あなたと同じように悩み、考える人間がいることを忘れないでください」
「異なる意見を持つ人も、きっと社会をよくしたいという願いは同じです」
「対立より対話を。分断よりつながりを。オンラインでもオフラインでも、相手を尊重する心を大切にしてください」
新入生たちは真剣に聞いていた。彼らの中からも、きっと新しい「つながり」を作る若者が現れるだろう。
蓮と優斗は微笑み合った。分断されたSNS世代だからこそ、真のつながりの価値を誰よりも理解している。彼らの小さな一歩が、きっと大きな変化の始まりになる。
画面越しの世界と現実の世界。その間にある見えない壁を越える鍵は、相手を人間として尊重する心だった。