闇夜に咲く一輪の華
羅生門の下に、冷たい雨が降り続いていた。下人は、行くあてのない身を嘆きながら、ただ雨宿りを続けている。飢えと寒さが彼の思考を鈍らせ、この先の運命が漠然とした不安となってのしかかる。
その時、門の奥から微かな光が漏れ、下人の視線を捉えた。それは、暗闇にうごめく何者かの気配。下人の心臓が、微かに高鳴る。死人ばかりだと高を括っていた楼上だが、生きた人間の気配に、彼の好奇心が鎌首をもたげた。
楼上の出会い
用心深く梯子を上った下人は、息を潜めて楼上を覗き込む。そこには、噂通りの無数の屍骸と、その中で松の木片を手に何かを漁る老婆の姿があった。
老婆は、腐乱した屍骸の髪を一本ずつ抜き取っていた。その光景は下人の憎悪を掻き立てた。しかし、老婆の口から語られたのは、想像を絶する現実だった。飢えを凌ぐため、死人の髪を鬘に仕立てて売る。その行為が悪であると知りながらも、生きるために仕方なく行っているのだと。
下人の心に、新たな感情が芽生えた。それは、老婆への怒りとは異なる、複雑な感情。そして、ある決意が彼の内側で固まる。それは、これまでの彼にはなかった、新たな「勇気」だった。
夜の底へ
「では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、飢え死にする身なのだ。」
下人は老婆の衣を剥ぎ取り、闇夜へと駆け下りていった。雨の中、京の町へと急ぐ下人の背中に、老婆のすすり泣くような声が響く。しかし、彼は振り返らない。彼の心には、最早、躊躇も迷いもなかった。
剥ぎ取った檜肌色の着物を抱きしめ、下人は暗闇の中をひたすら走る。冷たい雨が、彼の頬を伝う。それは雨粒か、あるいは彼の目から溢れるものか。彼は、新たな一歩を踏み出したのだ。生きるための、そして、何かが変わるための、最初の一歩を。
羅生門の楼上では、裸になった老婆が、燃え残る松明の光を頼りに、下人の去った梯子の口をじっと見つめていた。その瞳の奥には、憎しみとも諦めともつかない、複雑な光が宿っていた。そして、夜の闇は、全てを静かに包み込んでいく。
原作小説
- 原作小説名
- 羅生門
- 原作作者
- 芥川 竜之介
- 青空文庫図書URL
- https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card128.html