こころ ~青春と友情の物語~
プロローグ 運命の出会い
僕の名前は田中ユウト。都内の私立大学に通う平凡な二年生だ。そんな僕の人生が大きく変わったのは、あの夏の日に「先輩」と出会ったからだった。
鎌倉の海水浴場で、僕は一人の男性に出会った。年は僕より七、八歳上だろうか。黒髪に整った顔立ち、どこか憂いを帯びた瞳が印象的だった。周りが騒がしい中、彼だけがひとり静かに海を見つめていた。
「あの...」
なぜか僕は、彼に声をかけていた。彼は振り返ると、少し驚いたような表情を見せた。
「君は学生?」
「はい。東京の大学に通っています」
彼は微笑んだ。それが、僕と「先輩」との出会いだった。
第一章 憧れの先輩
先輩の本名は山田タカシ。東京帝大を卒業後、今は都内で翻訳の仕事をしている。家は裕福で、一人暮らしの洋館に住んでいた。
「君は面白いことを言うね」
先輩は僕の拙い話にも、いつも真剣に耳を傾けてくれた。その知性と品格に、僕は憧れを抱いた。
先輩の家にはよく遊びに行った。書斎には洋書がぎっしりと並び、応接間には美しいピアノが置かれていた。そして、そこには「奥さん」がいた。
「こんにちは、ユウト君」
奥さんの名前はミサキ。先輩より少し年下で、とても美しい人だった。優しくて上品で、まさに理想的な女性だった。
「先輩は幸せですね」
「そうかな...」
先輩はいつも、どこか寂しそうな表情を浮かべていた。
第二章 先輩の過去
ある日、先輩は僕に過去の話をしてくれた。
「実は、僕には大学時代に親友がいたんだ。名前をカズヤと言った」
カズヤは先輩の大学時代のルームメイトだった。貧しい家庭出身だったが、とても真面目で優秀な学生だった。
「彼は僕の家族のように大切な存在だった。僕の両親も、カズヤを実の息子のように可愛がっていた」
二人は共に学び、共に夢を語り合う親友だった。しかし、運命は残酷だった。
「カズヤは、ある女性に恋をしたんだ」
その女性こそ、今の奥さんであるミサキだった。
第三章 三角関係の悲劇
「僕も、実はミサキに恋をしていた」
先輩の告白に、僕は言葉を失った。
「カズヤは純粋だった。彼女への想いを隠すことなく、僕に相談してきた。『タカシ、君はどう思う?僕は彼女にふさわしいだろうか』と」
先輩は苦悶の表情を浮かべた。
「僕は...僕は最低だった。親友の恋を応援するふりをして、裏では彼女に近づいていた」
先輩は自分の財力と社会的地位を利用して、ミサキの心を掴んだ。カズヤは何も知らずに、先輩に恋の相談を続けていた。
「そして、僕は彼女と結ばれた。カズヤには、事後報告だった」
第四章 カズヤの選択
「カズヤは、僕たちの結婚を知った時、何も言わなかった。『おめでとう、タカシ。君にふさわしい人だ』と言って、微笑んだ」
しかし、その笑顔は嘘だった。
「カズヤは、その後すぐに大学を辞めて故郷に帰った。『家業を継ぐことになった』と言って」
実際は、カズヤは絶望していた。愛する女性を親友に奪われ、自分の貧しさを痛感し、生きる希望を失っていた。
「そして、一ヶ月後に連絡が来た。カズヤが...カズヤが自殺したと」
先輩は涙を流していた。
第五章 罪悪感という名の呪い
「僕は親友を裏切った。僕の欲望のために、彼を死に追いやった」
先輩は結婚後、ずっと罪悪感に苛まれていた。ミサキとの幸せな生活も、すべてがカズヤの犠牲の上に成り立っていると感じていた。
「だから、僕は幸せになってはいけないんだ。カズヤが生きていれば、彼が幸せになるはずだった」
先輩の憂鬱な表情の理由が、ようやく理解できた。
「奥さんは、知っているんですか?」
「いや、ミサキは何も知らない。僕が彼女を愛していることも、カズヤのことも」
第六章 現在への影響
先輩の告白を聞いた僕は、複雑な気持ちになった。憧れていた先輩が、実は親友を裏切った人だったのだ。
「君は僕を軽蔑するだろうね」
「そんなことは...」
「いや、軽蔑してくれ。僕は軽蔑されるべき人間なんだ」
先輩は自分を責め続けていた。そして、それが彼の人生を縛っていた。
「でも、先輩。過去は変えられません。大切なのは、これからどう生きるかじゃないですか?」
「君は若いから、そう言えるんだよ」
第七章 ミサキとの会話
ある日、先輩が外出している間に、僕はミサキと二人きりになった。
「ユウト君、あの人のことで何か気づいていることはない?」
ミサキは鋭い女性だった。先輩の変化に気づいていたのだ。
「最近、あの人はより一層沈み込んでいるの。何か大きな秘密を抱えているような」
僕は何も答えられなかった。先輩の秘密を話すわけにはいかなかった。
「私、知っているの。カズヤのことは」
僕は驚いた。
「あの人は、カズヤが私を愛していたことを知っている。そして、自分がそれを利用したことも」
第八章 すべてを知る妻
「私も、本当はカズヤを愛していたの」
ミサキの告白に、僕は言葉を失った。
「でも、私は現実的な女だった。カズヤは貧しくて、将来が不安定だった。タカシは裕福で、安定していた」
ミサキは涙を流した。
「私は愛ではなく、安定を選んだ。そして、カズヤは死んだ。私たちは皆、自分の選択の結果を生きているのよ」
「でも、先輩は自分を責めています」
「それが、あの人の罰なのかもしれない。私たちは皆、何かを犠牲にして生きている」
第九章 人間の真実
僕は先輩とミサキの話を聞いて、人間の複雑さを理解した。善と悪、愛と欲望、理想と現実。すべてが混在している。
「先輩、僕はもう先輩を軽蔑しません」
「なぜだ?」
「先輩は確かに過ちを犯しました。でも、それを一生背負って生きている。それが先輩の罰であり、同時に償いなんだと思います」
先輩は少し楽になったような表情を見せた。
「君は優しいな。でも、僕の罪が消えるわけではない」
「消える必要はないんです。大切なのは、その罪と向き合い続けることじゃないですか」
第十章 新たな出発
季節は巡り、僕は三年生になった。先輩との関係も変わった。以前のような憧れではなく、一人の人間として理解するようになった。
「ユウト君、私たちはもう少し話をしてもいいかしら?」
ミサキは僕を庭に呼んだ。
「あの人は、君に救われたのよ。初めて、自分の過去を他人に話せた」
「僕は何もしていません」
「いいえ、君は聞いてくれた。それだけで十分だったの」
ミサキは微笑んだ。
「人は一人では生きられない。でも、一人では死ぬこともできない。カズヤは、そのことを教えてくれたのかもしれない」
エピローグ こころの在り処
大学を卒業する頃、僕は先輩から一通の手紙をもらった。
「ユウト君へ。君との出会いは、僕にとって大きな意味があった。君は僕に、人間の複雑さと美しさを教えてくれた。
こころとは、善悪の彼岸にある。完璧な人間など存在しない。みんな、何かを背負って生きている。
僕は今でもカズヤのことを忘れない。でも、それは罪悪感ではなく、記憶として大切にしている。
君もいつか、人生の選択に迫られるだろう。その時、完璧な答えはないことを覚えておいてほしい。大切なのは、自分の選択に責任を持つことだ。
こころは、一人では育たない。君がいてくれたから、僕のこころは成長できた。ありがとう。」
僕は手紙を読み返した。人間の「こころ」の複雑さを、僕は先輩から学んだ。
完璧な人間はいない。でも、それでも人は生きていく。お互いを支え合いながら、自分のこころと向き合いながら。
それが、僕の学んだ「こころ」の真実だった。
原作小説
- 原作小説名
- こころ
- 原作作者
- 夏目 漱石
- 青空文庫図書URL
- https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card773.html