人間椅子 ~継承者~
第一章 古い椅子の謎
昭和三十年、東京の古い洋館で骨董商を営む私、田中修一は、奇妙な依頼を受けた。依頼主は品川区に住む未亡人、佐藤綾子という女性だった。
「先日、主人の遺品を整理していたところ、応接間にある古い椅子から、不思議な手紙が見つかったのです」
綾子は震える手で一通の封書を差し出した。封筒には「人間椅子の秘密」と書かれていた。
「この椅子は、主人が戦前に購入したものです。でも最近、夜中に軋む音がするようになって…まるで中に人が入っているかのような」
私は椅子を見に行くことになった。佐藤家の応接間に置かれていたのは、確かに見覚えのある椅子だった。深い紫色のビロードに包まれ、重厚な木製の枠組みを持つ、まさに人が一人入れそうな大きさの安楽椅子。
第二章 隠された真実
手紙を開くと、そこには驚愕の事実が記されていた。
「私の名前は山田太郎。昭和七年、この椅子の中に身を隠し、愛する女性の日常を見守り続けた男である。しかし、時は流れ、私の肉体は朽ち果てた。だが、私の意志は、この椅子に宿り続けている。
そして今、新たな継承者を求めている。この椅子に座る者は、やがて私と同じ運命を辿ることになるだろう。美しき女性への愛、それが全ての始まりなのだ。」
綾子は顔を青ざめた。
「主人は毎晩、この椅子に座って読書をしていました。そして亡くなる前の数日間、まるで別人のようになって…」
私は椅子を詳しく調べた。すると、座面の下に巧妙に隠された空間を発見した。そこには、人一人がぎりぎり入れるほどの空洞があった。そして、古い骨の破片と、もう一通の手紙が。
第三章 連鎖する狂気
二通目の手紙は、佐藤氏の筆跡だった。
「私は山田太郎の意志を継いだ。この椅子には不思議な力がある。座る者の心に、純粋で狂気的な愛を植え付けるのだ。私は妻への愛に取り憑かれ、ついにはこの椅子の中に身を隠すことを選んだ。
妻は私が死んだと思っているだろう。しかし、私は今でも彼女を見守っている。そして、次の継承者を待っている。」
私は戦慄した。この椅子は、代々の所有者を狂気の愛に駆り立て、最終的には椅子の中に閉じ込めてしまうのか。
綾子は涙を流しながら言った。
「主人は最後の夜、『君をずっと見守っていよう』と言って、この椅子に座ったまま姿を消したのです。翌朝、椅子には誰もいませんでした。でも、夜中に聞こえる音は…」
第四章 選択の時
私は椅子を処分することを勧めた。しかし、綾子は首を横に振った。
「もし、主人が本当にこの椅子の中にいるのなら…私は彼と共にいたい」
その夜、私は佐藤家に泊まることにした。真夜中、応接間から微かな音が聞こえてきた。椅子の軋む音、そして囁くような声。
「愛している…愛している…」
私は恐る恐る応接間を覗いた。すると、椅子に座る綾子の姿があった。彼女は恍惚とした表情で、空中に向かって微笑んでいた。
「あなた、やっと会えましたね」
綾子は私を見て言った。
「主人がここにいるんです。この椅子の中に。そして、私も…」
終章 永遠の愛
翌朝、私は空になった椅子を発見した。綾子の姿はどこにもなかった。しかし、椅子の座面には、新しい手紙が置かれていた。
「私たちは永遠に結ばれました。この椅子は、真の愛を求める者を待っています。あなたも、いつかきっと…」
私は急いで椅子を倉庫に運び、厳重に封印した。しかし、時折、静寂の中で聞こえてくる。
椅子の軋む音と、愛を囁く声が。
そして私は知っている。いつか、この椅子に座る日が来ることを。愛する人への想いが、理性を超えるほどに強くなった時、私もまた…
原作小説
- 原作小説名
- 人間椅子
- 原作作者
- 江戸川 乱歩
- 青空文庫図書URL
- https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/card56648.html