青空AI短編小説

その後の男

登録日時:2025-07-05 05:15:32 更新日時:2025-07-05 05:15:32



雨は止んでいた。



下人は羅生門の石段を降りながら、懐に隠した老婆の着物を確かめた。絹の感触が指先に冷たく、夜の闇の中でも鮮やかな朱色が浮かんで見えるようだった。



「これで当分は食いつなげる」



そう呟いてみたものの、足取りは重い。老婆から奪った着物は確かに値打ちものだが、それを金に換えるあてはない。第一、この乱世で着物を買う者がいるのか。



京の都は相変わらず荒れ果てていた。道端には餓死者の骸が転がり、野犬がそれを貪っている。下人は鼻を覆いながら、人気のない路地を縫って歩いた。





三日後、下人は河原で一人の僧侶と出会った。



僧侶は年若く、痩せ細った頬に深い皺を刻んでいた。破れた袈裟を身に纏い、托鉢の鉢を手にしている。だが、その眼差しには不思議な光があった。



「お前さんも、この世の辛さに疲れた者か」



僧侶は下人を見つめて言った。



「そんなところだ」



下人は警戒しながら答えた。この僧侶が何者なのか、何を求めているのか分からない。



「この着物、どこで手に入れた?」



僧侶は下人の懐を見透かすように言った。下人は驚いて身を引いた。



「知らぬ」



「嘘をついてはいけない。その着物には、まだ死者の念が宿っている」





僧侶の言葉に、下人は羅生門での出来事を思い出した。



あの夜、老婆が死人の髪を抜いているのを見た時の嫌悪感。だが、老婆の言葉を聞いているうちに、自分の中で何かが変わった。善悪など、所詮は腹を満たすための方便に過ぎない。生きるためには、どんな手段でも使うべきなのだ。



「その通りだ。俺は盗人になった」



下人は開き直って言った。



「だが、それがどうした。この世で正直に生きていては、餓死するだけだ」



僧侶は悲しそうに首を振った。



「お前さんの心は既に死んでいる。生きているのは肉体だけだ」



「綺麗事を言うな。お前だって托鉢で人の情けにすがって生きているではないか」



「そうだ。だが、私は人の善意を信じている。お前さんは人の悪意しか信じていない」





僧侶の言葉は下人の胸に刺さった。



あの夜から、下人は確かに変わった。人を見れば、どう騙してやろうか、どう利用してやろうかと考えるようになった。信用できるのは自分だけ。他人は皆、敵だった。



だが、この僧侶の前では、なぜか心が落ち着かない。



「お前は何者だ」



「ただの旅の僧だ。この都で供養をしている」



「供養?」



「羅生門で死んだ者たちの」



下人は凍りついた。



「あそこで死んだ者たちは、皆、この世に未練を残している。恨みを、悲しみを、そして絶望を」



僧侶は続けた。



「お前さんがあの夜出会った老婆も、その一人だ」





「老婆は死んでいるのか」



「とうに死んでいる。お前さんが出会ったのは、彼女の怨念だ」



下人は震えた。あの夜の記憶が蘇る。老婆の干からびた手、濁った目、そして髪を抜く音。



「なぜ、俺に教える」



「お前さんを救いたいからだ」



「救う?」



「お前さんの魂を」



僧侶は立ち上がった。



「その着物を返しなさい。そして、羅生門で供養をしなさい。そうすれば、お前さんの心に平安が訪れるだろう」



下人は懐の着物を握りしめた。これが偽物だとしても、今の自分にはこれしかない。



「断る」



「そうか」



僧侶は悲しそうに微笑んだ。



「では、お前さんもいずれあの門で朽ち果てることになるだろう」





僧侶が去った後、下人は一人で河原に座り込んだ。



夕日が西に沈み、都に夜の帳が下りる。どこからともなく、死者の呻き声が聞こえてくるようだった。



下人は着物を取り出し、見つめた。朱色の絹は、血のように赤く見えた。



「これが本物だろうと偽物だろうと、俺には関係ない」



そう呟いたが、声は震えていた。



僧侶の言葉が頭から離れない。老婆の怨念、羅生門の呪い、そして自分の運命。



立ち上がった下人は、着物を懐に戻した。そして、羅生門の方角を見つめた。



遠くに見える門の影は、巨大な口を開けて自分を待っているようだった。



「行くか」



下人は呟いた。



「もう一度、あの門へ」



夜闇の中、下人の姿は次第に小さくなっていった。そして、二度と誰にも見られることはなかった。





羅生門では今夜も、死者たちが髪を抜き続けている。



生者の欲望と、死者の怨念が渦巻く中で。



(了)

※この作品は、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で公開されている以下の作品を利用して、AIで創作しています。

原作小説

原作小説名
羅生門
原作作者
芥川 竜之介
青空文庫図書URL
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card128.html