画面の向こう側
第一章 偽りの顔
僕は、人間というものがよくわからない。特に、SNSに投稿される完璧な笑顔の裏に隠された真実が。
大学生の僕は、毎日のようにInstagramやTwitterに「充実した日常」を投稿している。美味しそうなカフェの写真、友人たちとの楽しげな集合写真、勉強に励む姿。しかし、それらはすべて演技だった。本当の僕は、部屋の片隅で膝を抱えて震えている。
「いいね」の数が僕の存在価値を決めていた。通知が来るたびに心臓が跳ね上がり、数時間投稿に反応がないと、まるで世界から忘れ去られたような気持ちになる。僕は承認欲求という名の麻薬に溺れていた。
リアルな人間関係も、すべてが表面的だった。友人たちと笑い合いながらも、僕は彼らが本当に僕を必要としているのか、それとも単なる集合写真の背景として僕を利用しているだけなのか、常に疑っていた。
第二章 デジタル依存
僕の一日は、スマートフォンの画面を見ることから始まり、画面を見ることで終わる。朝起きてから夜眠るまで、絶えずSNSをチェックし、他人の生活を覗き見している。
オンライン上では、僕は別人になれた。ウィットに富んだコメントを投稿し、知的で面白い人物を演じることができた。しかし、現実の僕は、人と目を合わせて話すことすらできない。コンビニで店員さんに「ありがとうございます」と言うのにも勇気が必要だった。
夜中になると、僕は匿名の掲示板に自分の悩みを書き込む。そこでは、同じように苦しんでいる人たちが集まっていた。僕たちは互いを慰め合いながらも、実際に会うことはない。デジタルの世界でしか存在できない関係性だった。
母親からの「最近どう?」という電話にも、僕は「元気だよ、充実してる」と答える。画面越しでしか本音を語れない僕は、最も身近な人に対してさえ嘘をついていた。
第三章 現実逃避
就職活動の時期になると、僕の偽りの生活は限界に達した。面接官の前では、何もかもが嘘に聞こえる。「学生時代に力を入れたことは?」という質問に、僕は用意した答えを機械的に口にするが、心の中では「SNSで他人の人生を眺めることです」と叫んでいた。
内定をもらえない現実を受け入れられず、僕はネットゲームに逃避した。仮想世界では、僕は英雄になれた。モンスターを倒し、仲間から感謝され、成長していく自分を感じることができた。しかし、ログアウトした瞬間、現実の惨めさが押し寄せてくる。
友人たちが次々と就職を決めていく中、僕だけが取り残されていった。彼らの成功を祝福する投稿に「いいね」を押しながら、僕の心は嫉妬と自己嫌悪で満ちていた。
深夜、僕は「人間失格」という言葉を検索エンジンに打ち込む。現代では、失格の烙印は他人から押されるものではなく、自分で自分に押すものなのかもしれない。
第四章 つながりの幻想
僕には1000人以上のフォロワーがいた。しかし、本当に僕を理解してくれる人は一人もいなかった。数字だけの関係性に、僕は孤独を感じていた。
ある日、高校時代の同級生から久しぶりに連絡が来た。「今度みんなで集まろう」というメッセージに、僕は複雑な気持ちになった。会いたい気持ちと、偽りの自分がバレることへの恐怖が混在していた。
結局、僕は「忙しい」という理由で断った。しかし、その日のSNSには、僕がカフェでくつろぐ写真を投稿した。矛盾した行動の中で、僕は自分が何をしているのかわからなくなっていた。
親友だと思っていた人が、僕の投稿に反応しなくなった。理由を聞くと、「最近のお前、なんか変だよ」と言われた。僕は変わったのではない。ただ、本当の自分を隠し続けることに疲れてしまったのだ。
第五章 デジタルデトックス
ある朝、僕はスマートフォンを見るのをやめた。通知をオフにし、アプリを削除した。最初は禁断症状のような不安に襲われたが、次第に心が落ち着いてきた。
外を歩くと、これまで気づかなかった風景が目に入った。道端の花、空の雲、通りすがりの人々の表情。僕はずっと画面の中の世界に閉じこもっていたのだと気づいた。
図書館で本を読むようになった。活字の世界では、僕は自分のペースで物語を進めることができた。他人の評価を気にする必要もなく、ただ静かに自分と向き合うことができた。
しかし、完全にデジタル世界から離れることは不可能だった。就職活動も、友人との連絡も、現代社会ではすべてがデジタルを通じて行われる。僕は、適度な距離を保ちながら、テクノロジーと付き合う方法を学ぶ必要があった。
第六章 新しい自分
カウンセリングを受けることにした。最初は恥ずかしかったが、画面越しではなく、実際に人と向き合って話すことの大切さを知った。カウンセラーの先生は、僕の話を否定せず、ただ聞いてくれた。
「承認欲求は悪いことではない」と先生は言った。「問題は、その承認を求める相手と方法なのです」。僕は、見知らぬ人からの「いいね」よりも、本当に大切な人からの理解を求めるべきだったのだ。
小さなカフェでアルバイトを始めた。お客さんと直接話すことで、僕は少しずつ人とのコミュニケーションを学んだ。最初はぎこちなかったが、笑顔で「ありがとうございます」と言えるようになった。
SNSも再開したが、今度は自分のためではなく、本当に伝えたいことがある時だけ投稿するようにした。「いいね」の数を気にするのではなく、誰かの心に届くメッセージを心がけた。
第七章 人間として
僕は人間失格ではなかった。ただ、現代社会の中で自分らしく生きる方法を見つけられずにいただけだった。テクノロジーに支配されるのではなく、それを道具として使いこなすことを学んだ。
友人たちとの関係も変わった。表面的な交流ではなく、お互いの弱さや不安を共有できる深いつながりを築くことができた。完璧な自分を演じる必要はないのだと理解した。
今でも時々、承認欲求に駆られることがある。しかし、その時は一度立ち止まって、本当に必要なのは何なのかを考えるようにしている。他人の評価ではなく、自分自身の成長こそが大切なのだと。
現代社会において、僕たちは皆、程度の差はあれ同じような葛藤を抱えているのかもしれない。大切なのは、その葛藤から逃げるのではなく、向き合って、自分なりの答えを見つけることなのだろう。
僕は人間として、不完全でありながらも、それでも生きていく価値があるのだと信じている。デジタル時代の人間失格者から、真の人間へと成長していく物語は、まだ始まったばかりなのだから。
原作小説
- 原作小説名
- 人間失格
- 原作作者
- 太宰 治
- 青空文庫図書URL
- https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card301.html