美禰子の微笑み、三四郎の憂鬱
東京の夏は、相変わらず蒸し暑く、三四郎の心には、いつものように漠然とした不安が渦巻いていた。大学の講義を終え、図書館の窓辺でぼんやりと外を眺める。視線の先には、きらめく陽光の下、緑豊かな木々が揺れている。しかし、彼の心は、その輝きとは裏腹に、どこか曇りがちだった。
最近、特に彼の心を占めているのは、やはり美禰子のことだった。あの不思議な魅力を持つ女性。その微笑みは、彼を惹きつけてやまない一方で、彼女の奔放な言動は、三四郎を戸惑わせるばかりだ。今日もまた、彼女が誰とどこで何をしているのか、想像するだけで胸がざわつく。
広田先生の言葉、野々宮さんの眼差し
「君、世の中は『広き世界』ばかりではないのだよ。」広田先生の言葉が、ふと彼の脳裏をよぎった。あの時、先生は彼に、広い世界へと目を向けることの重要性を説いた。しかし、同時に、その世界には、彼が想像もしないような複雑な人間関係や感情が渦巻いていることを示唆していたようにも思える。
そして、野々宮さんの静かな眼差し。彼女は、美禰子とは対照的に、控えめで思慮深い女性だ。彼女といると、彼の心は不思議と落ち着く。だが、その落ち着きは、美禰子が彼にもたらす、あの胸のときめきとは異質なものだった。
「迷える羊」の行く先
三四郎は、ため息をついた。自分は、まるで広大な牧場に迷い込んだ一匹の羊のようだ。どの道を選べば良いのか、どこへ向かえば良いのか、全く見当がつかない。学問の道、恋愛の道、そして、東京という街が提示する、無数の選択肢。
彼は、再び窓の外に目をやった。遠くで、子供たちの賑やかな声が聞こえる。彼らには、まだ迷いも不安もないのだろう。純粋な好奇心に満ちたその声が、三四郎の心に、微かな郷愁と、そして、かすかな希望の光を灯した。
彼は、ゆっくりと立ち上がり、図書館を出た。今日の空は、どこまでも高く、そして広い。三四郎は、この「広き世界」の中で、自分自身の道を見つけることができるだろうか。美禰子の謎めいた微笑み、野々宮さんの穏やかな眼差し、そして、広田先生の深遠な言葉。それら全てが、彼の心の中で複雑に絡み合いながら、彼の「迷える羊」としての旅は、まだ始まったばかりだった。
原作小説
- 原作小説名
- 三四郎
- 原作作者
- 夏目 漱石
- 青空文庫図書URL
- https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card58842.html