家具職人の密かな愉しみ
美しい閨秀作家、佳子様の書斎。そこは、私にとって、世界で最も甘美な監獄だった。私は、彼女が毎朝、夫を見送った後、そこへ閉じこもるのを、椅子の内側から、息を潜めて待ち焦がれていた。私の名は、世にも醜い顔を持つ家具職人。しかし、この椅子の中では、私はどんな貴公子よりも自由に、そして密かに、彼女の生活を覗き見ることができたのだ。
密室の告白
佳子様の元には、毎日のように崇拝者からの手紙が届く。今朝もまた、彼女は仕事に取り掛かる前に、それらの手紙に目を通していた。その中に、私の手紙もあった。いや、それは手紙の体裁をとった、私の奇妙な告白だった。「奥様、私は今、あなたの前に、私の犯して来ました、世にも不思議な罪悪を、告白しようとしているのでございます」
私は、自分の醜い容貌と、貧しい暮らしに絶望していた。しかし、椅子を作る仕事だけは、私にわずかな喜びを与えてくれた。私が作った椅子に、どのような高貴な人、あるいは美しい人が座るのか、想像するだけで、ほんの一瞬ではあるが、私は自分がその部屋の主人になったかのような、形容しがたい愉快な気持ちになれたのだ。
その妄想は、やがて恐ろしい計画へと繋がった。私が丹精込めて作った、あの大きな皮張りの肘掛椅子。その内部に、人間一人が隠れても決して外から分からないほどの空洞を作り、私はその中に身を潜めたのだ。この椅子がホテルに運ばれ、佳子様の書斎に据えられた時、私の奇妙な生活が始まったのである。
覗き見る日々
佳子様がこの椅子に腰掛けるたび、私はその温もり、微かな息遣い、そして紙とインクの匂いを、すぐ間近に感じることができた。彼女が原稿用紙に向かう姿、ペンを走らせる音、時折漏れるため息。それら全てが、私にとっての至福だった。私はまるで「やどかり」のように、自分の隠れ家から、人間世界の営みを覗き見ていた。人影がない時を見計らって椅子から抜け出し、ホテルの中をうろつき回って盗みを働くこともあったが、真の目的は、佳子様の傍にいることだった。
しかし、私の告白は、果たして彼女に届くのだろうか。私の醜い魂が、この奇妙な形でしか伝えられない、この歪んだ愛の告白は。私は、椅子の中で、佳子様の美しい指が、私の書いた告白の手紙を読み進める音を聞いていた。その紙がめくられるたびに、私の心臓は、まるで秘密が暴かれるかのように、激しく鳴り響いた。私の罪悪は、彼女の好奇心と共鳴し、新たな物語を紡ぎ出すだろう。この告白は、佳子様にとって、文学の素材となるのか、それとも、ただの狂人の妄言として忘れ去られるのか。私は、椅子の中で、ただ、その結末を待ち続けるしかなかった。
原作小説
- 原作小説名
- 人間椅子
- 原作作者
- 江戸川 乱歩
- 青空文庫図書URL
- https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/card56648.html