青空短編小説

赫焉の天秤:火星防衛戦記

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あらすじ

地球連邦が自らを守るため、小惑星の軌道を火星へと変えた。火星防衛軍指揮官カイトは、限られた資源で隕石を迎撃する決断を下す。守るべき土地と人々のため、火星と地球の間に深い溝を刻む壮絶な防衛戦が幕を開ける。

第一章 赤い空に響く警報


「警報発令。全職員は直ちに第一種戦闘配置につけ。繰り返す——」


機械的なアナウンスが地下都市アガリスの隅々まで響き渡る。俺——カイト・レドフィールドは、管制室へと続く狭い通路を全力で駆け抜けた。


「カイト指揮官、お待ちしておりました」


管制室に飛び込むと、副官のミラが青ざめた顔で俺を出迎えた。彼女の背後には、巨大なホログラムスクリーンが浮かび上がっている。そこに映し出されているのは、火星へと向かってくる一つの光点だった。


「状況は」


「最悪です。小惑星テミス、直径15キロメートル。72時間後に火星に衝突します」


俺は軌道計算データに目を走らせた。数字が、冷たい事実を突きつけてくる。


「待て。これ、元々は地球に向かっていた軌道じゃないか」


「ええ」


ミラが唇を噛んだ。


「地球連邦が、スイングバイで軌道を変えたんです。わざと」


「わざと、だと……?」


俺の声が震えた。いや、違う。震えたんじゃない。怒りで低くなっただけだ。


「地球からの通信を繋ぎます」


スクリーンが切り替わり、地球連邦の高官——白髪の男が映し出された。男は事務的な口調で告げた。


『火星防衛軍司令部へ。我々は種の存続のため、合理的な選択を下した。火星はすでに地下都市化を完了している。地表への衝突であれば、地下住民の生存率は計算上60%を超える。一方、地球への衝突は全人類の滅亡を意味する』


「60%……?」


俺は思わず呟いた。


「4割は死ねって言ってるのか、あんたたちは」


『感情的になるな。これは論理的な——』


「黙れ!」


俺は通信を切った。


第二章 火星の意地


「カイト、落ち着いて」


ミラが俺の肩に手を置いた。でも、落ち着けるわけがない。


「60%の生存率って、残りの4割——つまり数百万人が死ぬってことだぞ。地殻津波が起きれば、地下都市の支柱が砕ける。アガリスだって無事じゃ済まない」


「分かってます。でも、地球には勝てません。彼らには強大な宇宙艦隊がある。私たちには——」


「あるさ」


俺はスクリーンを睨みつけた。


「俺たちには、この赤い土を守り抜く執念がある」


管制室の全員が、俺を見た。


「全稼働中のテラフォーミング・プラントを反転させろ。大気を暖めるための熱線を、すべて一点に集中させる」


「まさか、隕石を焼き切るつもりですか?」


オペレーターの一人が声を上げた。


「いや、狙うのは氷の層だ。テミスは元々、火星から弾き飛ばされた岩石が氷を纏ったもの。その氷を急激に沸騰させれば——」


「内部爆発を起こさせて、軌道を逸らす……!」


ミラが目を見開いた。


「理論上は可能ですが、エネルギーが足りません。全プラントのエネルギーを使っても——」


「地下都市の全エネルギーを回す。生活維持システム以外、全部だ」


室内がざわめいた。


「それでは、数日間は暗闇の中で——」


「構わない。死ぬよりマシだ」


第三章 深紅の迎撃


48時間後。隕石テミスは、肉眼でも確認できるほど大きくなっていた。火星の空が、不気味な白銀色に染まり始めている。


「カイト、地球側の工作艦隊が接近してます」


ミラの声に、俺は歯ぎしりした。


「隕石の軌道を微調整するつもりか。俺たちが破壊したり、逸らしたりするのを阻止しに来やがった」


「迎撃機の準備を」


「ああ」


俺は小型迎撃機のコクピットに乗り込んだ。急造機だ。地球の最新鋭機には到底敵わない。でも、退路はない。背後には、家族が眠る地下都市がある。


「こちら火星防衛隊。これ以上の干渉は宣戦布告とみなす!」


俺は機体を発進させた。真空の戦場が、目の前に広がる。


地球側の機体が、こちらに向かってくる。俺は操縦桁を握りしめた。


「あんたたちに、この土は踏ませない!」


ドッグファイトが始まった。地球側のパイロットは訓練された精鋭だ。でも、俺たちには守るものがある。それが、何よりも強い。


俺は隕石の表面に設置された推進装置を次々と破壊していった。爆発の光が、暗い宇宙を照らす。


「データを送ります。隕石の組成分析——弱点を見つけました!」


ミラの声が通信に響いた。


「氷の層が最も厚いのは北半球。そこを狙えば——」


「了解!」


第四章 決着の熱線


俺は全通信回路を開いた。


「地下都市エネルギー管理センター、聞こえるか! 地下の全エネルギーを第4観測ドームに回せ! 今すぐだ!」


『了解。全エネルギー転送を開始します』


地表から、深紅の熱線が放たれた。それは、まるで火星そのものが怒りを吐き出すかのような光だった。


熱線が隕石の北半球を貫く。氷が一気に沸騰し、巨大な噴射ガスとなって吹き出した。


「軌道が、変わってる……!」


ミラの歓声が聞こえた。


隕石テミスは、火星の重力圏外へと押し上げられていく。薄い大気を掠めて、夜空を真っ赤に染め上げながら、漆黒の宇宙の彼方へと消えていった。


終章 分かたれた空


地下都市アガリスは、歓喜に沸いていた。人々は抱き合い、涙を流し、生き延びたことを喜んだ。


でも、俺は管制室で、一人暗いモニターを見つめていた。


「カイト、やりましたよ。私たちは勝ったんです」


ミラが笑顔で言った。でも、俺は首を横に振った。


「いや。俺たちは守っただけだ」


モニターには、隕石テミスの新しい軌道が表示されていた。それは、再び地球へと向かう不安定な軌道だった。


「次は、あいつらが自分で自分を守る番だ」


火星と地球。かつて兄弟だった二つの惑星の間に、消えない深い溝が刻まれた。


そして、隕石が残した美しい尾を引く光だけが、静かに宇宙を漂っていた。