青空短編小説

鋼鉄と月銀の帝国 ~霧の向こうに失われた正義~

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あらすじ

蒸気と鋼鉄の大改革を成し遂げたアルビオン帝国。東洋交易組合の新米役人ジェームズは、「自由貿易が世界を豊かにする」と信じていた。だがラスカ亜大陸で目にしたのは、圧倒的な暴力による支配と搾取。そして対シン帝国では、麻薬「夢の霧」を使った非道な貿易。理想と現実の狭間で、彼が見つけた答えとは。

第一章:大改革の残した影


俺の名はジェームズ・スチーム。東洋交易組合、通称コンソーシアムの新米役人だ。


今年でまだ二十三歳。アルビオン帝国の首都で生まれ育った俺は、蒸気機関の轟音を子守唄に育った世代だ。


「スチーム君、これが君の赴任先の資料だ」


上司のクロムウェル卿が、分厚い書類の束を机に叩きつけた。


「ラスカ亜大陸ですか」


「そうだ。我がコンソーシアムが、星の絹で巨万の富を築いた土地だ。君の父上も、かつてあの地で活躍されたと聞いている」


父は貿易商人として成功し、俺に最高の教育を受けさせてくれた。その父が常々語っていたのは、「自由貿易こそが世界を豊かにする」という信念だった。


「光栄です。必ずや、帝国の繁栄に貢献してみせます」


俺は胸を張って答えた。


その時の俺は、まだ何も知らなかった。


コンソーシアムが、ただの貿易会社ではなくなっていることを。


ラスカの地で、どれほどの血が流れているのかを。


そして、俺自身がその歯車の一つになろうとしていることを。




船は三ヶ月かけて、ようやくラスカ亜大陸の港町カルパッタに到着した。


「うわ、すごい熱気だな」


甲板に出た瞬間、湿った熱波が俺を包み込んだ。空気が重い。太陽の光が、まるで溶けた金属のように降り注いでいる。


港には、現地の人々が溢れていた。


褐色の肌、色とりどりの布を纏った人々。彼らの多くは、コンソーシアムの倉庫で働く労働者たちだ。


「新入りか?」


声をかけてきたのは、日焼けした顔に無精髭を生やした中年男性だった。


「ええ、今日着任したばかりです。ジェームズ・スチームと申します」


「俺はトム。ここで十年も働いてる。まあ、気をつけろよ。ここはアルビオンとは違う」


トムの目には、何か諦めたような影があった。




第二章:商業帝国の牙


赴任して一週間。俺の仕事は、現地の小王国から徴収する税金の管理だった。


「税収が足りないだと?」


クロムウェル卿の代理人、ハリソン支配人が机を叩いた。


「申し訳ございません。今年は干ばつで、収穫が例年の六割程度でして」


ラスカの小王国の使者が、床に額を擦りつけるように頭を下げている。


「言い訳は聞きたくない。契約通り納めろ。さもなくば、我々の軍が動くことになる」


「そ、それだけはどうか」


使者の声が震えていた。


俺は書類を握りしめたまま、黙っていることしかできなかった。


契約は契約だ。それがビジネスというものだ。


父もそう教えてくれた。


でも、この光景は、父が語っていた「自由貿易」とは、どこか違う気がした。




翌月、その小王国は税金を納められなかった。


結果、コンソーシアムの私設軍が動いた。


「スチーム、お前も同行しろ。現場を見ておくことは重要だ」


ハリソン支配人に命じられ、俺は軍の後方部隊に同行することになった。


戦いは、一方的だった。


最新式の火薬銃を装備した我が軍に対し、王国の兵士たちは槍と弓で立ち向かった。


結果は、言うまでもない。


「た、助けてくれ!」


逃げ惑う兵士たち。燃え上がる村。泣き叫ぶ子供たち。


俺は吐き気を堪えながら、その光景を見ていた。


「これが、ビジネス、なのか?」


夜、テントの中で俺は独りつぶやいた。


答えは返ってこなかった。




第三章:鉄蛇の咆哮


それから三年が経った。


俺はすっかりこの土地に慣れ、コンソーシアムの中堅役人として働いていた。


慣れた、というのは正確ではない。


感覚が麻痺した、と言うべきかもしれない。


「また反乱の噂か」


トムが煙草を吹かしながら言った。


「セポイ(現地兵士)たちの不満が高まってるらしい。給料の差別、昇進の壁。そりゃあ爆発するさ」


「でも、彼らもコンソーシアムの恩恵を受けてるじゃないか。雇用も、インフラも」


俺の言葉に、トムは苦笑した。


「お前、本気でそう思ってるのか?」




その日は突然やってきた。


「反乱だ! セポイたちが蜂起した!」


銃声が響き渡る。炎が上がる。


「鉄蛇の反乱」と後に呼ばれる、大規模な抵抗運動が始まったのだ。


指導者は、アジナ・バヌという名の男だった。


かつてラスカの小王国の王族だった彼は、コンソーシアムに全てを奪われ、セポイとして雇われていた。


「我々は奴隷ではない! この地は我々のものだ!」


アジナの演説は、民衆の心に火をつけた。




反乱は激しさを増し、コンソーシアムの支配地は次々と陥落していった。


「本国から援軍が来る。それまで持ちこたえろ」


ハリソン支配人の指示のもと、俺たちは要塞に籠城した。


ある夜、俺は偶然、反乱軍の捕虜と話す機会があった。


「なぜ戦うんだ? コンソーシアムは君たちに仕事を与えただろう?」


若い兵士は、俺を睨みつけた。


「仕事? 俺たちの畑を奪い、安い賃金で働かせ、俺たちを二等市民として扱う。それが仕事か?」


「でも、貿易は双方に利益を」


「利益? お前たちが持っていくだけじゃないか。俺たちの絹を奪い、お前たちの綿布を押し付ける。それで俺たちの産業は死んだ」


俺は、言葉を失った。


父が語っていた「自由貿易」は、本当に正しかったのか?




第四章:帝国の鉄槌


半年後、アルビオン帝国本国から大軍が到着した。


最新鋭の武器と、圧倒的な物量。


反乱は、無慈悲に鎮圧された。


アジナ・バヌは捕らえられ、公開処刑された。


「これで秩序が戻る」


ハリソン支配人は満足そうに言った。


だが、俺の心には、何も残らなかった。




反乱鎮圧の後、衝撃的な発表があった。


「コンソーシアムの統治権限は、全て帝国政府に移管される」


クロムウェル卿が、苦々しい表情で発表した。


「我々は、もはや統治機構として信頼されていないということだ」


コンソーシアムは、ただの貿易会社に戻された。


いや、それすらも危うい状況だった。




第五章:夢の霧という悪魔


それから数年後、俺は新たな任務を与えられた。


シン帝国との貿易問題の解決だ。


「不滅の茶の輸入で、月銀が流出し続けている。このままでは帝国の財政が破綻する」


クロムウェル卿、いや今ではロード・クロムウェルと呼ばれる彼が、冷たい目で俺を見た。


「解決策は一つ。夢の霧だ」


「まさか、あの麻薬を?」


「麻薬? いいや、これは商品だ。シン帝国の民が欲しがっている商品さ」


俺は愕然とした。


夢の霧。ラスカで栽培される植物から作られる、強力な鎮痛剤であり、同時に恐ろしい依存性を持つ薬物。


「これは、人道に反します」


「人道? スチーム、君は何を言ってるんだ? ビジネスに人道もクソもない。需要があり、供給がある。それだけだ」


クロムウェルの言葉に、俺は反論できなかった。


なぜなら、俺自身がこの三年間、ラスカで同じような理屈で自分を納得させてきたからだ。




夢の霧は、瞬く間にシン帝国に広がった。


役人も、兵士も、民衆も。


誰もが夢の霧に溺れ、現実から目を背けた。


そして、流出していた月銀が、今度は夢の霧の対価として、アルビオン側へと逆流し始めた。


「素晴らしい! 貿易赤字が解消されている!」


帝国政府は大喜びだった。


だが、俺の心は、どんどん重くなっていった。




第六章:林泰という男


シン帝国が、ついに動いた。


皇帝直属の高官、林泰が、夢の霧撲滅の指揮を執ることになったのだ。


「密輸業者を一人残らず捕らえろ。夢の霧は全て焼き払え」


林泰の命令は厳格で、容赦がなかった。


彼は自ら前線に立ち、命の危険も顧みず、夢の霧を取り締まった。


そして、ついにコンソーシアムの倉庫を急襲し、大量の夢の霧を没収した。


「これは財産権の侵害だ!」


クロムウェルは激怒した。


だが、林泰は一歩も引かなかった。


「貴国の毒が、我が国を蝕んでいる。これ以上、黙って見ているわけにはいかない」




俺は、林泰と一度だけ話す機会があった。


「あなたは、正しいことをしている」


俺の言葉に、林泰は静かに首を振った。


「正しい? いいや、私はただ、国を守ろうとしているだけだ。だが、貴国の科学力の前に、我々は無力かもしれない」


その言葉には、深い悲しみが込められていた。




第七章:霧の戦争


アルビオン帝国は、シン帝国に宣戦布告した。


「霧の戦争」の始まりだ。


シン帝国は、圧倒的な兵力で迎え撃った。


だが、アルビオン帝国の鋼鉄蒸気艦と火薬銃の前に、旧式の軍隊はなすすべもなく敗北した。


俺は、その戦場にいた。


「科学の暴力だ」


トムがつぶやいた。


「俺たちは、正義のために戦ってるんじゃない。利益のために戦ってるんだ」


その通りだった。




シン帝国は降伏し、「破られた封印の条約」を締結した。


巨額の賠償金。港の開放。翡翠の島の割譲。


シン帝国は、列強の食い物にされる道を歩み始めた。




終章:失われた正義


戦争が終わり、俺はアルビオンに帰国した。


英雄として迎えられた。


だが、俺の心には、何も残っていなかった。


「父さん、自由貿易って、本当に正しいんですか?」


老いた父に尋ねた。


父は、長い沈黙の後、答えた。


「正しいかどうかは、わからない。だが、それが世界の流れだ。そして、流れに逆らうことはできない」


「でも、俺たちがやったことは」


「後悔しているのか?」


父の問いに、俺は答えられなかった。




夜、俺は一人、窓の外を見つめた。


蒸気機関の煙が、街を覆っている。


鋼鉄と月銀で築かれた、この帝国の繁栄。


その影で、どれだけの人々が苦しんでいるのか。


俺は、もう二度と、あの日の自分には戻れない。


正義を信じていた、若き日の自分には。




「これが、俺たちの時代なのか」


俺はつぶやいた。


答えは、霧の向こうに消えていった。


【完】