青空短編小説

異世界の光の導く世界~再会のレクイエム~

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あらすじ

ブラック企業で心を擦り減らしていた佐倉悠人。ある夜、ビルの屋上から転落した彼が目覚めたのは、争いのない穏やかな異世界だった。失った光を取り戻す、心温まる再生の物語

第一章 君がいない世界


「はぁ……」


僕は無意識に、何度目かの溜息を吐いた。


デスクに積み重なった書類の山を眺めながら、時計を見る。午前三時。オフィスに残っているのは、もう僕だけだ。


蛍光灯の白い光だけが、無機質な空間を照らし続けている。


佐倉悠人、二十八歳。


普通のサラリーマン。いや、普通じゃないかもしれない。休日も、まともな睡眠時間もない。ただ働き続ける毎日。


でも、それでよかった。


少なくとも、何も考えずに済む。


「光……」


ふと、その名前を口にしていた。


小学生の頃、僕には親友がいた。名前は光。いつも笑顔で、誰にでも優しくて、クラスの人気者だった。


内気で友達の少なかった僕に、最初に話しかけてくれたのが光だった。


「ねぇ、一緒に遊ぼうよ!」


あの明るい声が、今でも耳に残っている。


光といると、世界が明るく見えた。一緒にいるだけで、僕は自分が特別な存在になれたような気がした。


でも、その光は小学四年生の冬に、病気で死んでしまった。


突然だった。


ある日突然、光は学校に来なくなり、そして二度と戻ってこなかった。


「悠人、ごめんね。また一緒に遊べなくなっちゃった」


病室で、弱々しく笑いながら光が言った言葉を、僕は忘れられない。


あれから二十年近く。


僕は光を失った穴を埋めるように、ただ働き続けてきた。何かに没頭していれば、寂しさを感じずに済むと思ったから。


でも、結局何も変わらなかった。


心の奥底にある空虚さは、何をしても埋まらない。


「もう、疲れたな……」


そう呟いて、僕は席を立った。


休憩がてら、屋上に出ることにする。


第二章 落ちる世界、開く扉


屋上の扉を開けると、冷たい夜風が頬を撫でた。


真冬の空気が、疲れ切った体に心地よい。


僕は柵にもたれかかり、夜空を見上げた。


星はほとんど見えない。都会の明かりが、全てを塗りつぶしている。


「光は、今頃どこにいるんだろう」


死後の世界なんて、信じていない。でも、もし本当にあるなら、光はきっと笑っているんだろうな。


そんなことを考えながら、僕は柵に体重を預けた。


その瞬間、嫌な音がした。


ギシッ。


「え?」


次の瞬間、僕の体は宙に浮いていた。


老朽化した柵が外れて、僕は夜の闇へと投げ出された。


「あ……」


不思議と、怖くはなかった。


むしろ、このまま楽になれるなら、それもいいかもしれない。


そんな考えが頭をよぎる。


光、やっと君のところに行けるのかな。


意識が遠のいていく。


そして、全てが暗闇に包まれた。




「……大丈夫?」


優しい声が聞こえる。


誰だろう。この声は知らない。


「うなされていたみたいだけど、悪い夢でも見ていたの?」


ゆっくりと目を開けると、見知らぬ天井が見えた。


木製の梁が走る、温かみのある部屋。


顔を横に向けると、三十代くらいの女性が心配そうな表情で僕を見つめていた。


「あの、ここは……?」


「よかった、気がついたのね。あなた、森の中で倒れていたのよ。怪我はないみたいだけど、しばらく休んでいって」


森?倒れていた?


状況が全く理解できない。


僕は確か、ビルから落ちたはずだ。なのに、どうして森にいたんだろう。


「あの、僕はどうして……」


「わからないわ。でも、きっと神様が助けてくれたのよ」


神様。


その言葉に、僕は首を傾げた。


女性は優しく微笑むと、温かいスープを差し出してくれた。


「とりあえず、これを飲んで。話はそれからでも遅くないわ」


僕は素直にスープを受け取り、一口飲んだ。


体の奥底から、温かさが広がっていく。


ここは一体、どこなんだろう。


そして、僕はなぜここにいるんだろう。


混乱する頭で、僕はただぼんやりと窓の外を眺めた。


見たこともない風景が、そこには広がっていた。


第三章 穏やかな世界で


あれから数年が経った。


僕はこの世界に、すっかり馴染んでいた。


ここは、僕がいた世界とは全く違う。魔法のような不思議な力が存在し、人々は争うことなく、穏やかに暮らしている。


ブラック企業も、無理な残業も、何もかも存在しない。


最初は戸惑ったけれど、次第にこの生活が心地よくなっていった。


僕を助けてくれた女性、エリーゼさんの家で働きながら、小さな村での生活を送っている。


畑を耕し、薪を割り、たまに村人の手伝いをする。


シンプルだけど、満たされた日々だった。


「悠人、今日は神様へのお供え物を届ける日よ」


エリーゼさんが、そう声をかけてきた。


「神様へのお供え物、ですか?」


「ええ。年に一度、村の代表者が神様の塔へお供え物を捧げに行くの。今年は、あなたにお願いしたいと思っているのだけど」


神様。


この世界には、人々を見守る優しい神様がいると聞いていた。でも、具体的にどんな存在なのかは、僕もよく知らない。


「僕が、ですか?」


「あなたはこの村に来てから、本当によく働いてくれたわ。神様もきっと、あなたの真面目さを認めてくれるはず」


エリーゼさんは、温かく微笑んだ。


僕は少し緊張しながらも、頷いた。


「わかりました。やらせてください」


そうして僕は、神様の塔へと向かうことになった。


第四章 再び落ちる、その先に


塔は、村の中心から少し離れた場所にあった。


石造りの、古めかしい建物。高さは、見上げるほどだ。


「ここを登るのか……」


僕は深呼吸をして、塔の中へと足を踏み入れた。


螺旋階段が、延々と続いている。


一段一段、ゆっくりと登っていく。


途中で何度か休憩を挟みながら、ようやく頂上にたどり着いた。


「ふぅ……」


頂上には、小さな台座が置かれていた。


そこに、村人たちが用意してくれたお供え物を置く。


「これでいいのかな」


役目を終え、僕は安堵の息を吐いた。


塔の頂上から見える景色は、どこまでも美しかった。村の家々が小さく見え、遠くには青々とした森が広がっている。


「綺麗だな……」


この世界に来てから、こんな景色を見られるようになった。


元の世界では、ビルとコンクリートしか見えなかった。


光、君はこんな景色を見たことがあったのかな。


ふと、そんなことを考えた。


さて、降りるか。


そう思って足を踏み出した瞬間、僕の体はバランスを崩した。


「わっ……!」


疲労からか、それとも油断からか、足が滑る。


そして、僕は再び宙を舞った。


「あ、この感じ……」


前にもあったな。


不思議と、怖くはなかった。


むしろ、どこか懐かしいような、落ち着いた気持ちだった。


風が、頬を撫でていく。


ああ、このまま落ちるのか。


でも、今度は少し違う。


前は何もかもが嫌で、楽になりたいと思っていた。


でも今は、まだやり残したことがある気がする。


エリーゼさんに挨拶もしてないし、村の人たちにもお礼を言いたい。


もう少し、この世界で生きてみたかった。


そう思った瞬間、全身を包むほどの眩い光が僕を覆った。


「なんだ、これ……」


暖かい。


とても、暖かい。


涙が出そうなほど、懐かしい感覚。


まるで、誰かに抱きしめられているような。


光の中で、僕の体はゆっくりと速度を落としていく。


そして、優しく、地面に降り立った。


「助かった……のか?」


僕は自分の体を確かめた。


どこも怪我をしていない。


完全に、無傷だった。


「でも、どうして……」


周りを見渡すと、そこは塔の頂上だった。


落ちたはずなのに、また頂上に戻されている。


「悠人」


突然、声が聞こえた。


優しい、どこか懐かしい声。


「誰……?」


僕は辺りを見回した。


でも、誰もいない。


「こっちだよ」


声のする方を向くと、光の中から一つの人影が浮かび上がってきた。


少年の姿。


幼い頃の面影を残しながらも、どこか神々しい雰囲気を纏っている。


その姿を見た瞬間、僕の胸が締め付けられた。


「まさか……」


少年は、優しく微笑んだ。


「久しぶりだね、悠人」


その声、その笑顔。


全てが、記憶の中にある。


「光……なのか?」


僕の声が、震えた。


少年は静かに頷いた。


「うん。僕だよ」


涙が、止まらなかった。


信じられない。


でも、確かにそこにいる。


「どうして……どうして君が……」


「ごめんね、驚かせて」


光は申し訳なさそうに笑った。


「でも、君に会いたかったんだ。ずっと、ずっと会いたかった」


「光……」


僕は一歩、光に近づいた。


光もまた、僕の方へ歩いてくる。


そして、二人の距離が縮まった時、光が静かに語り始めた。


「あの日、君がビルから落ちた時、僕は君を助けたくて、この世界に連れてきたんだ」


「君が……?」


「うん。僕が死んでから、この世界の神様になったんだ。でも、ずっと君のことを見守っていたよ」


光の言葉に、僕は息を呑んだ。


「あの会社で、君が苦しんでいるのを見ていられなかった。だから、君をここに呼んだんだ」


「そんな……」


「ごめんね。勝手なことをして」


光は寂しそうに笑った。


「でも、君にはもっと幸せになってほしかったから」


僕は、もう何も言えなくなった。


光は、ずっと僕を見守っていてくれたんだ。


苦しい時も、寂しい時も、ずっと。


「ありがとう、光」


やっとの思いで、そう言った。


「君が……君がいてくれて、本当によかった」


光は、いつものように明るく笑った。


「会えてよかった、悠人」


その笑顔が、あの頃と全く変わらなくて。


僕は、また涙が溢れてきた。


長い、長い時間を経て、僕たちはようやく再会できたんだ。


第五章 君と歩む明日


「ねぇ、悠人」


光が僕の隣に腰を下ろした。


塔の頂上から見える景色は、どこまでも穏やかで美しい。村の家々が小さく見え、遠くには青々とした森が広がっている。


「なに?」


「僕ね、ずっと心配だったんだ。君が笑わなくなっちゃって」


光は空を見上げながら、静かに続けた。


「小学生の頃、君はもっと笑ってたよね。僕と一緒にいる時、すごく楽しそうだった」


僕は、胸が締め付けられるような思いがした。


「うん……光がいなくなってから、僕は笑い方を忘れちゃったのかもしれない」


「そっか」


光は少し寂しそうに微笑んだ。


「でもね、君はこの世界で少しずつ笑顔を取り戻してきてる。それが見られて、僕は本当に嬉しかったんだ」


その言葉に、僕は何か引っかかるものを感じた。


「光……?」


「悠人」


光は僕の方を向いた。その瞳が、どこか寂しげに揺れている。


「僕ね、そろそろ戻らなきゃいけないんだ」


「戻る……って、どこに?」


「天界。神様の世界だよ」


僕の心臓が、ドクンと大きく脈打った。


「待って、それって……」


「うん。僕は神様だから、ずっとこうして君のそばにいることはできない」


光の声が、優しく、でも確かに告げる。


僕は必死に首を横に振った。


「嫌だ。せっかく、せっかくまた会えたのに……」


「ごめんね」


光は申し訳なさそうに笑った。


「でも、これでいいんだ。君がもう大丈夫だって、わかったから」


「大丈夫なんかじゃない!光がいなくなったら、また……また一人になっちゃう」


声が震える。


涙が溢れそうになるのを、必死にこらえた。


光は、そっと僕の頭に手を置いた。


「悠人は、もう一人じゃないよ」


「え……?」


「この世界には、君を大切に思ってくれる人たちがいる。エリーゼさんも、村の人たちも、みんな君のことが好きなんだ」


光の手が、温かい。


「君はもう、あの時の孤独な悠人じゃない。ちゃんと、人と繋がれるようになってる」


「でも……」


「それに」


光は、いつものように明るく笑った。


「僕はいなくなるわけじゃないよ。ただ、姿が見えなくなるだけ」


「どういうこと?」


「僕は神様として、この世界をずっと見守ってる。君のことも、ずっと見てるよ」


光は空を指差した。


「困った時は、空を見上げて。僕に話しかけて。きっと、何か力になれると思うから」


僕は、ゆっくりと空を見上げた。


青く広がる空が、どこまでも続いている。


「本当に……会えなくなっちゃうの?」


「うん。でもね、悠人」


光は僕の肩に手を置いた。


「君はもう、ちゃんと生きていける。自分の足で、前を向いて歩いていける」


「自信ない……」


「大丈夫だよ。だって君は、僕の大切な親友だもん。きっと、大丈夫」


光の体が、うっすらと光り始めた。


「あ……」


「時間みたい」


光は少し寂しそうに笑った。


「ねぇ、悠人。最後に一つだけ、約束して」


「約束……?」


「笑って生きてね。辛いことがあっても、悲しいことがあっても、ちゃんと笑顔を忘れないで」


僕は、涙をこらえながら頷いた。


「うん……約束する」


「ありがとう」


光の体が、どんどん透けていく。


「じゃあね、悠人。また、いつか」


「光……!」


僕は思わず手を伸ばした。


でも、光の体はもう、僕の手をすり抜けてしまう。


「ありがとう、悠人。君と友達になれて、僕は本当に幸せだったよ」


最後にそう言って、光は眩い光に包まれた。


そして、光が消えた後には、何も残っていなかった。


第六章 君がくれた勇気


僕は、しばらくその場に立ち尽くしていた。


光がいた場所を、ただじっと見つめていた。


「光……」


声が、震える。


涙が、止まらなかった。


またいなくなってしまった。


また、一人になってしまった。


でも。


「君はもう、一人じゃないよ」


光の言葉が、頭の中で響く。


そうだ。


僕には、エリーゼさんがいる。村の人たちがいる。


この世界で出会った、大切な人たちがいる。


「悠人!」


遠くから、エリーゼさんの声が聞こえた。


「無事だったの!? 心配したのよ!」


息を切らしながら、エリーゼさんが駆けてくる。


その後ろには、村の人たちもいた。


「よかった……本当によかった」


エリーゼさんが、僕を抱きしめた。


「ごめんなさい、心配かけて」


「もう、無茶しちゃダメよ」


エリーゼさんは、涙ぐみながら笑った。


村の人たちも、口々に声をかけてくれる。


「無事でよかった」


「心配したぞ」


「これからは気をつけろよ」


その温かさに、僕の胸がじんわりと温かくなった。


光が言った通りだ。


僕は、もう一人じゃない。


こんなにも、僕を心配してくれる人たちがいる。


「ありがとうございます」


僕は、心からそう言った。


そして、ふと空を見上げた。


青い空が、どこまでも広がっている。


光はもう、姿は見えない。


でも、きっとそこにいる。


ずっと、僕を見守ってくれている。


「光、見ててね」


僕は心の中で、そう語りかけた。


「僕、ちゃんと生きていくから。笑って、前を向いて生きていくから」


風が、優しく頬を撫でた。


まるで、光が答えてくれたみたいに。


エピローグ


あれから、また数年が経った。


僕は相変わらず、この村で暮らしている。


エリーゼさんの手伝いをしながら、畑を耕し、村の人たちと笑いあう日々。


シンプルだけど、とても幸せな毎日だ。


時々、寂しくなることもある。


光に会いたいと思うことも、ある。


でも、そんな時は空を見上げるんだ。


「光、元気にしてる?」


心の中で話しかける。


すると不思議と、心が軽くなる気がする。


きっと光は、どこかで笑ってるんだろうな。


「悠人、今日も畑の手伝い?」


村の子供が、声をかけてきた。


「うん。一緒にやる?」


「やる!」


子供は嬉しそうに笑った。


その笑顔を見ていると、昔の光を思い出す。


ああ、光。


君がくれた勇気のおかげで、僕は今、ちゃんと笑えてるよ。


人と繋がることの温かさを、もう一度知ることができたよ。


「ありがとう、光」


僕は心の中で、そっと呟いた。


君がいてくれたから。


君が僕を救ってくれたから。


僕は今、こうして生きていられる。


空が、優しい光を降り注いでいる。


まるで、光が微笑んでいるみたいに。


僕はその光を浴びながら、また一日を始めるんだ。


光と約束した、笑顔で生きる毎日を。


君はもう、そばにはいない。


でも、僕の心の中に、ずっといる。


それだけで、僕は前を向いて歩いていける。


ありがとう、光。


君と出会えて、本当によかった。


【完】




青い空の向こうで、きっと光は笑っている。


「頑張ってるね、悠人。君ならきっと、大丈夫」


そんな声が聞こえた気がして、悠人はそっと微笑んだ。