青空短編小説

崩壊する民主主義〜失われた自由、奪われた未来〜

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あらすじ

治安悪化に苦しむエウラリアで、カリスマ的革命家ヴォルフが「移民排除」を掲げ大統領に。移民支援活動家アリアは、独裁化する政権に抵抗するため地下に潜り、孤独な戦いを始める。

第一章 崩壊の予兆


「また失業率が過去最高を更新したって」


カフェのテーブルで、同僚のマルコが新聞を投げ出した。見出しには「失業率23%突破」の文字が躍っている。


「治安も悪化する一方だし、もう限界よね」


隣に座るエリカが、ため息混じりに呟く。


私、アリア・ノヴァクは、二人の会話を聞きながら、窓の外を眺めていた。かつて「多文化共生の成功例」として讃えられたエウラリアの首都、ノヴァシティ。その街並みは今、どこか疲弊した空気に包まれている。


「アリア、聞いてる?」


マルコの声で、我に返る。


「ごめん、何?」


「君はどう思う? このままじゃ、この国は本当にダメになるんじゃないか」


私は移民支援団体「ブリッジ」で働いている。元ジャーナリストだった私がこの仕事を選んだのは、異なる文化を持つ人々が共に生きる社会を信じていたからだ。


でも今、その信念が揺らぎ始めている。


「簡単な答えなんてないわ。でも、移民を悪者にするのは違う」


「それは綺麗事だよ、アリア」


エリカが静かに言った。


「私の弟、先月リストラされたの。理由は『より安い労働力の確保』。つまり、移民労働者に仕事を奪われたってこと」


言葉に詰まる。エリカの痛みは理解できる。でも、それを移民のせいにするのは間違っている。問題は政府の無策と、企業の搾取にあるはずだ。


「でもね、エリカ――」


「アリア、見て」


マルコがスマートフォンの画面を向けてきた。そこには、広場で演説する男の映像が流れていた。


「国民の皆さん、私たちはいつまで、この混乱を許すのですか!」


画面の中の男、アルテミス・ヴォルフは、炎のような情熱で語りかけている。引き締まった体躯、鋭い眼光、そして何より、人を惹きつける圧倒的なカリスマ。


「エウラリアは本来、誇り高き国家です。なのに今、私たちは自分たちの土地で、居場所を失いつつある。これは正常ですか? 違う! 断じて違います!」


群衆は熱狂的に拍手を送っている。


「解決策は明快です。エウラリア・ファースト。この国を、この国の人々の手に取り戻すのです!」


画面が切り替わり、ニュースキャスターが冷静な口調で語る。


「アルテミス・ヴォルフ氏は、移民の即時完全排除、国境の完全封鎖、伝統文化の絶対的順守を公約に掲げ、急速に支持を拡大しています」


私の背筋に冷たいものが走った。


「この人、すごいよね」


マルコが目を輝かせている。


「単純明快で分かりやすい。今の政府みたいに、口先だけの理想論じゃなくて、ちゃんと行動してくれそう」


「待って、マルコ。あなた、この人を支持してるの?」


「支持っていうか……でも、間違ったこと言ってないでしょ?」


エリカも頷く。


「私も、正直、共感できる部分はあるわ。少なくとも今の政府よりマシかもしれない」


二人の言葉に、言い知れぬ恐怖を感じた。マルコもエリカも、理性的で思慮深い人間だ。その二人が、こんな過激な思想に傾倒し始めている。


「でも、彼の主張は排他的すぎる。人権を――」


「人権? アリア、私たちの人権はどうなるの?」


エリカが珍しく声を荒げた。


「移民の人権を守るために、私たち国民が犠牲になれっていうの? 弟が仕事を失って、家族が困窮しているのに?」


返す言葉が見つからない。


カフェを出て、私は一人、夕暮れの街を歩いた。街角のスクリーンには、繰り返しヴォルフの演説が流れている。道行く人々は、その映像に足を止め、熱心に見入っている。


オフィスに戻ると、代表のダニエルが深刻な表情で待っていた。


「アリア、ちょっといいか」


会議室に通される。テーブルには、分厚い資料が積まれていた。


「ヴォルフ氏の政策を分析してみた。もし彼が当選したら……」


ダニエルは資料をめくりながら続けた。


「即座に数百万人の移民が国外追放される。家族が引き裂かれ、子供たちが路頭に迷う。そして、鎖国政策によって国際社会から孤立し、経済は壊滅的な打撃を受ける」


「でも、彼は本当に当選するの?」


「最新の世論調査では、支持率35%。野党第一党の候補を上回っている」


信じられない数字だった。


「どうして? メディアは彼を批判しているのに」


「主要メディアはね。でも、インターネット上の世論は違う。SNSでは彼を『救世主』と呼ぶ声で溢れている」


ダニエルは深いため息をついた。


「人々は疲れているんだ。複雑な問題を考える余裕がない。だから、単純明快な答えを求める。ヴォルフはそれを提供している」


私は窓の外を見た。夜の街に、ヴォルフの選挙ポスターが無数に貼られている。力強く拳を掲げる彼の姿が、まるでこの国を覆い尽くそうとしているようだった。


「私たちに、できることはある?」


「真実を伝え続けることだ。彼の政策がもたらす悲劇を、一人でも多くの人に知ってもらう」


ダニエルの目には、静かな決意が宿っていた。


その夜、自宅のアパートで、私はヴォルフの過去を調べ始めた。元軍人、ビジネスマン、そして今、革命家。彼の経歴は華々しいが、どこか謎めいている。


ふと、古いニュース記事に目が留まった。十年前、小さな地方都市で起きた暴動。移民コミュニティへの襲撃事件。その現場に、若き日のヴォルフがいたという証言。


しかし、記事はすぐに削除され、今ではアーカイブにしか残っていない。


「彼は、ずっと前から準備していたのかもしれない」


背筋が凍る思いだった。この国が崩壊の瀬戸際に立っていることを、誰よりも明確に感じ取っていた。


窓の外では、どこかで拡声器を使った演説の声が響いている。ヴォルフの支持者たちの声だ。


「エウラリア・ファースト! エウラリア・ファースト!」


そのシュプレヒコールは、まるで国全体を包み込む、暗い波のようだった。


第二章 世論の暴走


選挙までの三ヶ月は、あっという間に過ぎた。


「ブリッジ」のオフィスは、毎日が戦場だった。ヴォルフの政策がもたらす危険性を訴えるパンフレットを作り、街頭で配布し、SNSで情報発信を続けた。でも、反応は芳しくなかった。


「また誹謗中傷が来てる」


若手スタッフのサラが、疲れた表情でパソコンの画面を見ている。私たちのSNSアカウントには、連日、罵詈雑言が浴びせられていた。


「『移民の犬』『売国奴』『国を滅ぼす気か』……ひどいわ」


「無視するしかない」


そう言いながらも、私自身、心が折れそうになっていた。


街の雰囲気は日に日に変わっていく。以前は移民に対して寛容だった人々が、次々とヴォルフ支持に回っている。スーパーで、バスの中で、職場で、至る所で彼の名前が語られている。


ある日、私は旧知のジャーナリスト、ルカスに会った。彼は大手新聞社の編集長で、ヴォルフに批判的な記事を書き続けている数少ない人物だ。


「アリア、状況は最悪だ」


カフェの個室で、ルカスは小声で言った。


「ウチの新聞の購読者数が激減している。理由は『ヴォルフ批判をやめろ』。広告主からも圧力がかかっている」


「でも、真実を報道するのがメディアの役割でしょう?」


「理想論だよ。経営が成り立たなければ、報道もできない」


ルカスは苦い表情を浮かべた。


「それに、もう一つ問題がある。社内でも、ヴォルフ支持者が増えているんだ。若手記者の中には『なぜ彼を批判するのか理解できない』と公然と言う者もいる」


言葉を失った。メディアの内部まで、ヴォルフの影響が及んでいる。


「ルカス、あなたはどう思う? 本当に彼が当選するの?」


「残念ながら、可能性は高い。最新の世論調査では、支持率が42%に達している」


絶望的な数字だった。


街頭演説に向かう途中、大規模なヴォルフ支持者の集会に遭遇した。広場を埋め尽くす群衆は、皆一様にヴォルフのシンボルである「鷲」のバッジをつけている。


壇上でヴォルフが語り始めると、群衆は熱狂的な歓声を上げた。


「国民の皆さん、私たちは長い間、欺かれてきました。『多文化共生』という美名のもとに、私たちの国は奪われ、文化は汚され、未来は失われました!」


拍手と歓声が鳴り響く。


「しかし、もう終わりにしましょう。私たちの手で、私たちの国を取り戻すのです! エウラリアは、エウラリア人のものです!」


群衆は狂ったように叫んだ。


「エウラリア・ファースト! エウラリア・ファースト!」


その光景を見ながら、私は思った。これは、もはや政治ではない。宗教だ。ヴォルフは預言者となり、人々は盲目的に彼を信奉している。


選挙の一週間前、私たちは最後の大規模な反対集会を開催した。広場に集まったのは、わずか三百人ほど。ヴォルフ支持者の集会の百分の一にも満たない。


ダニエルが壇上で訴える。


「皆さん、私たちは今、重大な岐路に立っています。ヴォルフ氏の政策は、この国に取り返しのつかない傷を残します。私たちは、もう一度、冷静に考えなければなりません」


しかし、その言葉は虚しく響いた。通りかかる人々は、私たちを冷ややかな目で見るだけだ。中には、罵声を浴びせる者もいた。


「売国奴!」


「移民の犬が!」


私は演説を終えた後、ダニエルに言った。


「もう、間に合わないかもしれない」


「諦めるのか?」


「諦めたくはない。でも、現実を見なきゃ」


ダニエルは私の肩に手を置いた。


「アリア、君が正しいことをしているのは、私が保証する。たとえ今は理解されなくても、いつか必ず――」


「いつか?」


私は声を荒げた。


「いつかって、いつなの? 何百万人もの人々が国外追放されて、この国が独裁国家になってから? その時には、もう遅いのよ」


ダニエルは何も言い返せなかった。


選挙当日、私は投票所に向かった。長い列ができていて、人々は興奮した様子で話している。


「今日でこの国は変わる」


「ヴォルフ大統領の誕生だ」


希望に満ちた彼らの表情を見ながら、私は絶望していた。彼らは、自分たちが何を選ぼうとしているのか、本当に理解しているのだろうか。


夜、開票速報が始まった。オフィスに集まったスタッフたちと、テレビの前で固唾を飲んで見守る。


「現在の開票状況です。アルテミス・ヴォルフ候補、得票率53%――」


アナウンサーの声が、まるで遠くから聞こえるようだった。


「ヴォルフ候補の圧勝が確実視されています」


サラが泣き出した。ダニエルは呆然とテレビを見つめている。


午後十時、ヴォルフの当選が確定した。


街では、支持者たちが狂喜乱舞していた。クラクションが鳴り響き、歓声が上がり、花火が打ち上げられる。まるで祭りのようだった。


私は窓から、その光景を見下ろしていた。


「終わったわ」


誰にともなく呟く。


「いや、始まったんだ」


ダニエルが静かに言った。


「ここからが、本当の戦いだ」


その言葉の意味を、私はまだ理解していなかった。それを理解するのは、もう少し後のことになる。


テレビでは、当選を受けたヴォルフの演説が流れている。


「国民の皆さん、今日、新しいエウラリアが誕生しました。私たちは団結し、この国を再び偉大な国家へと導きます。エウラリア・ファースト!」


群衆の歓声が、夜空に響き渡った。


私は静かに目を閉じた。嵐が来る。そしてその嵐は、この国のすべてを飲み込むだろう。


第三章 独裁への階段


ヴォルフの就任式は、史上最大規模のものとなった。


首都の中央広場には、数十万人の支持者が集まり、彼の演説に熱狂的な声援を送った。私はオフィスで、その中継を見ていた。


「私は約束します。百日以内に、この国を変えてみせると」


ヴォルフは力強く宣言した。


「移民問題の解決、治安の回復、そして国境の完全封鎖。すべて実行します」


群衆は歓喜の声を上げた。


就任からわずか三日後、ヴォルフは最初の大統領令に署名した。「緊急治安回復法」。この法律により、警察の権限が大幅に拡大され、令状なしでの逮捕や捜索が可能になった。


「治安維持のためには、やむを得ない措置だ」


政府のスポークスマンは、そう説明した。


そして、一週間後、移民の一斉摘発が始まった。


早朝、重武装した警察部隊が移民コミュニティに突入し、片っ端から人々を連行していく。その光景は、全国に生中継された。


「ブリッジ」のオフィスには、助けを求める電話が殺到した。


「お願い、娘を連れていかれたの。まだ十歳なのよ!」


「夫が逮捕された。理由も分からない」


私たちは弁護士と連携し、必死に支援活動を続けた。しかし、状況は絶望的だった。警察は法的手続きを無視し、裁判所は政府の方針に従順だった。


ある日、私は収容施設の前に立った。高い壁に囲まれた巨大な建物。かつては使われていなかった軍の施設を、政府は急遽改装したのだ。


ゲートの前で、家族を待つ人々が泣き叫んでいた。


「息子を返して!」


「何も悪いことをしていないのに!」


しかし、警備員は冷たく彼らを追い払った。


私は施設の周囲を歩きながら、壁の向こうから聞こえる声に耳を澄ませた。子供の泣き声、女性の悲鳴、男性の怒号。地獄のような光景が、そこにはあった。


オフィスに戻ると、ダニエルが深刻な表情で待っていた。


「アリア、大変なことになった」


彼が見せたのは、政府から届いた通知書だった。


「『ブリッジ』の活動は、『国家の治安を脅かす行為』と認定された。一週間以内に活動を停止しなければ、法的措置を取るとのことだ」


「そんな、私たちは何も違法なことはしていない!」


「政府にとっては、移民を支援すること自体が『反国家的行為』なんだ」


その夜、私は旧友のレオンに電話した。彼は警察官で、昔から正義感の強い人間だった。


「レオン、今、何が起きているの?」


電話の向こうで、レオンは長い沈黙の後、小さな声で答えた。


「アリア、俺も混乱している。上からの命令は絶対だ。疑問を持つことすら許されない」


「でも、あなたは正しいことをしたいと思ってるでしょう?」


「正しいことって、何だ?」


レオンの声には、疲労と諦めが滲んでいた。


「今、この国で『正しい』のは、政府の方針に従うことだけだ。それ以外は、すべて『間違い』なんだよ」


電話を切った後、私は深い無力感に襲われた。


翌週、議会で重要な法案が可決された。「国家安全保障強化法」。この法律により、政府は「国家の安全を脅かす」と判断した個人や団体を、司法手続きなしで処罰できるようになった。


野党議員は激しく反対したが、数の力で押し切られた。


「これは独裁だ!」


野党党首が叫んだ。


「国民の自由を奪う気か!」


しかし、与党議員は冷笑した。


「国民の安全を守るための、必要な措置です」


法案が可決されると、支持者たちは拍手喝采した。


その日の夜、主要な野党議員三名が「国家安全保障強化法」違反の容疑で逮捕された。容疑は「政府の政策を批判し、国民の不安を煽った」というものだった。


メディアは、この事件をほとんど報じなかった。報じたのは、ルカスの新聞だけだった。しかし、その記事は発行直後に回収命令が出され、ルカスは編集長の職を解かれた。


私はルカスのアパートを訪ねた。部屋は荒れ果て、彼は酒瓶を手に床に座り込んでいた。


「終わったよ、アリア」


ルカスは虚ろな目で言った。


「俺の人生も、この国の報道の自由も、全部終わった」


「諦めないで。まだ、やれることはある」


「何が? もう誰も真実なんて聞きたがらない。みんな、ヴォルフの『強いエウラリア』の夢に酔いしれてるんだ」


私は何も言えなかった。


街の雰囲気は、日に日に変わっていった。人々は、以前より明るく、希望に満ちているように見えた。治安が回復し、失業率が改善されたというニュースが、連日報道された。


しかし、その裏で、何千人もの人々が自由を奪われ、家族と引き裂かれていた。


ある日、街を歩いていると、巨大なスクリーンにヴォルフの演説が映し出された。


「国民の皆さん、見てください。この三ヶ月で、私たちは何を成し遂げたか。犯罪率は50%減少し、失業率は15%に低下しました。これこそが、『エウラリア・ファースト』の成果です!」


人々は拍手を送り、ヴォルフを讃えた。


私は、その光景を見ながら思った。この国は、もう後戻りできない場所まで来てしまったのかもしれない。


オフィスに戻ると、スタッフたちが暗い表情で集まっていた。


「アリア、これを見て」


サラが差し出したのは、政府からの最終通告だった。


「『ブリッジ』は、本日をもって解散を命じられる。従わない場合、関係者全員を『反国家活動』の容疑で逮捕する」


ダニエルが、静かに言った。


「ついに、来たか」


私は拳を握りしめた。怒りと悔しさと、そして恐怖が、胸の中で渦巻いていた。


「私たちは、どうすればいいの?」


若いスタッフが震える声で聞いた。


ダニエルは、皆の顔を見渡してから、ゆっくりと口を開いた。


「君たちに、強制はしない。ここで終わりにしても、誰も責めない」


そして、私の方を向いた。


「でも、アリア。君は、どうする?」


私は、窓の外を見た。夕日に染まる街。その街のどこかで、今も苦しんでいる人々がいる。


「私は、戦う」


静かに、しかし確固たる意志を込めて言った。


「たとえ、この国全体を敵に回すことになっても」


第四章 地下への潜伏


「ブリッジ」の強制閉鎖から三日後、私は自宅を後にした。


荷物は最小限。ノートパソコン、携帯電話、数日分の着替え、そして現金。クレジットカードは使えない。政府に追跡される。


ダニエルは、既に国外へ逃れた。彼には家族がいる。留まる理由はない。サラや他のスタッフも、それぞれの道を選んだ。


私は、一人で戦うことを選んだ。


向かったのは、旧市街の古いアパート。かつて取材で知り合った活動家、ミラが用意してくれた隠れ家だ。


「ここなら、しばらくは安全よ」


ミラは小柄な女性だが、目には強い意志が宿っている。彼女もまた、ヴォルフ政権に抵抗する地下活動家の一人だ。


「ありがとう、ミラ」


「礼には及ばないわ。私たちは、同じ戦いをしているんだから」


部屋は狭く、窓も小さい。しかし、ここが私の新しい拠点となる。


ノートパソコンを開き、暗号化された通信アプリを起動する。画面には、各地の活動家たちからのメッセージが並んでいた。


「北部の収容施設で、餓死者が出た」


「東部で、大規模な抗議デモが鎮圧された。死傷者多数」


「政府は、インターネットの検閲を強化している」


絶望的な情報ばかりだ。しかし、私は手を止めない。


私の役割は、真実を伝えること。ヴォルフ政権が隠蔽している人権侵害の実態を、国民に知らせること。


まず、収容施設の内部情報を集めた。元警備員の証言、収容者の家族からの情報、衛星写真。それらを統合し、一つのレポートにまとめる。


そして、複数の匿名アカウントを使い、SNSに投稿した。


「#エウラリアの真実」


「#ヴォルフの嘘」


「#人権侵害を許すな」


ハッシュタグをつけ、拡散を狙う。


しかし、反応は鈍かった。政府は既に、SNSの監視を強化している。私の投稿は、すぐに削除され、アカウントは凍結された。


「くそ」


舌打ちをしながら、別のアカウントを作成する。イタチごっこだが、やるしかない。


ある夜、ルカスから連絡があった。


「アリア、会いたい」


私たちは、人気のないカフェで落ち合った。ルカスは、以前より痩せ、顔色も悪い。


「大丈夫?」


「大丈夫なわけないだろ」


ルカスは苦笑した。


「でも、諦めたわけじゃない。君に、これを渡したい」


彼が差し出したのは、USBメモリだった。


「これは?」


「政府の内部文書だ。ある情報提供者から手に入れた」


私は驚いて彼を見た。


「危険すぎる。もしバレたら――」


「もう、怖いものなんてない」


ルカスは静かに言った。


「俺はすべてを失った。だから、せめて最後に、ジャーナリストとしての仕事をしたい」


USBメモリを受け取り、私は頷いた。


「ありがとう、ルカス。必ず、活用する」


隠れ家に戻り、USBメモリの中身を確認した。そこには、ヴォ


政権の暗部が詳細に記録されていた。


収容施設での虐待、議会への圧力、メディアへの検閲命令、そして、反体制派のリストアップ。


そのリストの中に、私の名前もあった。


「要注意人物。逮捕優先度A」


背筋が凍る。もはや、時間の問題だ。


しかし、恐怖よりも、使命感が勝った。この情報を、世界に伝えなければならない。


私は、複数の海外メディアに連絡を取った。エウラリアの鎖国政策により、国外メディアの取材は困難になっていたが、オンラインでの情報提供は可能だった。


「信頼できる情報源から、重要な内部文書を入手しました。ヴォルフ政権の人権侵害の証拠です」


返信が来たのは、国際人権団体の記者、エミリアからだった。


「詳細を送ってください。必ず報道します」


私は、暗号化されたメールで、文書のコピーを送信した。


数日後、エミリアの記事が国際ニュースサイトに掲載された。


「エウラリア政府の人権侵害、内部文書が暴露」


記事は、瞬く間に世界中に拡散された。国際社会は、ヴォルフ政権を非難した。


しかし、国内の反応は違った。


政府は、記事を「外国勢力による捏造」と断じ、国民に信じないよう呼びかけた。そして、主要メディアは、政府の主張を一方的に報道した。


街では、逆に反外国感情が高まった。


「外国は、エウラリアを潰そうとしている」


「ヴォルフ大統領を守れ」


人々は、ますます政府を支持するようになった。


私は、深い無力感に襲われた。真実を伝えても、誰も聞こうとしない。この国は、もう手遅れなのではないか。


そんなある日、ミラが慌てて部屋に駆け込んできた。


「アリア、逃げて! 警察が、この地区を捜索している!」


私は急いで荷物をまとめた。しかし、階段を降りようとした瞬間、下から足音が聞こえた。


「上を探せ!」


警察だ。


ミラが、屋上への階段を指差した。


「あそこから隣のビルに飛び移れるわ。急いで!」


私は屋上に駆け上がった。背後から、警察の怒号が聞こえる。


「止まれ!」


振り返らず、私は助走をつけて隣のビルに飛び移った。着地の衝撃で足を捻ったが、走り続ける。


路地を抜け、人混みに紛れ、何度も曲がり角を曲がった。やがて、追っ手の気配が消えた。


息を切らしながら、私は廃墟となった建物の中に隠れた。暗闇の中で、膝を抱えて座り込む。


「もう、限界かもしれない」


弱音が、口をついて出た。


しかし、その時、携帯電話が震えた。メッセージだ。


「アリア、諦めないで。あなたの活動を、多くの人が見ています。私たちは、あなたと共にいます」


送信者は不明。しかし、その言葉は、私の心に火を灯した。


「まだ、終わりじゃない」


立ち上がり、私は再び歩き出した。独裁者ヴォルフとの戦いは、まだ始まったばかりだ。


夜の街に、私の孤独な影が伸びていた。しかし、その影は、決して消えることはない。たとえ世界中を敵に回しても、私は戦い続ける。


それが、私に残された唯一の道だから。