青空短編小説

羅生門(博多弁版)

登録日時:2025-12-13 03:19:59 更新日時:2025-12-13 04:05:35

雨やみを待つ男


ある日の夕方ばいね。一人の下人が、羅生門の下で雨のやむとを待っとったと。


広か門の下には、この男のほかに誰もおらん。ただ、所々塗装の剥げた、でっかい円柱に、きりぎりすが一匹とまっとる。羅生門が、朱雀大路にあるったい、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はおりそうなもんやけどね。それが、この男のほかには誰もおらんと。


何でかって言うとね、この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか飢饉とか言う災いがずっと起こっとったと。そいで洛中の廃れ方は半端やなかとよ。昔の記録によると、仏像や仏具ば打ち砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木ば、路端に積み重ねて、薪として売りよったって言うことたい。洛中がそげん始末やけん、羅生門の修理なんかは、もとより誰も見向きもせんやったと。するとその荒れ果てたとばよかことにして、狐狸が棲む。盗人が棲む。とうとう最後には、引き取り手のなか死人ば、この門へ持って来て、捨てて行くって習慣さえできたと。そいで、日が暮れると、誰でも気味悪がって、この門の近所へは足ば踏み入れんごとなってしもうたとよ。


門の上の怪しい火


その代わりまた烏がどっからか、ぎょうさん集まって来たと。昼間見ると、その烏が何羽となく輪ば描いて、高い鴟尾のまわりば鳴きながら、飛び回っとる。特に門の上の空が、夕焼けで赤うなる時には、それが胡麻ばまいたようにはっきり見えたと。烏は、もちろん、門の上におる死人の肉ば、ついばみに来るとたい。――もっとも今日は、時間が遅いせいか、一羽も見えん。ただ、所々、崩れかかった、そいでその崩れ目に長か草の生えた石段の上に、烏の糞が、点々と白うこびりついとるとが見える。


下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖の尻ば据えて、右の頬にできた、でっかい面皰ば気にしながら、ぼんやり、雨の降るとば眺めとったと。


作者はさっき、「下人が雨やみば待っとった」って書いたばってん。しかし、下人は雨がやんでも、別にどげんしようって当てはなかと。普段なら、もちろん、主人の家へ帰るべきはずたい。ところがその主人からは、四五日前に暇ば出されたと。前にも書いたごと、当時京都の町は半端なく衰えとったと。今この下人が、長年、使われとった主人から、暇ば出されたとも、実はこの衰えの小さな余波にほかならんとよ。


やけん「下人が雨やみば待っとった」って言うよりも「雨に降り込められた下人が、行く所がなくて、途方に暮れとった」って言う方が、適当たい。その上、今日の空模様も少なからず、この平安朝の下人のセンチメンタリズムに影響したと。申の刻下がりから降り出した雨は、まだ上がる気配がなか。そいで、下人は、何をおいても差し当たり明日の暮らしばどげんかしようとして――言わばどげんもならんことば、どげんかしようとして、とりとめもなか考えばたどりながら、さっきから朱雀大路に降る雨の音ば、聞くともなく聞いとったとよ。


梯子を上る決意


雨は、羅生門ば包んで、遠くから、ざあっって音ば集めて来る。夕闇は次第に空ば低うして、見上げると、門の屋根が、斜めに突き出した甍の先に、重たく薄暗い雲ば支えとる。


どげんもならんことば、どげんかするためには、手段ば選んどる暇はなかと。選んどれば、築土の下か、道端の土の上で、飢え死にするばかりたい。そいで、この門の上へ持って来て、犬のごと捨てられてしまうばかりたい。選ばんとすれば――下人の考えは、何度も同じ道ばぐるぐる回った挙句に、やっとこの結論に辿り着いたと。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」やったと。下人は、手段ば選ばんって事ば肯定しながらも、この「すれば」に決着ばつけるために、当然、その後に来るべき「盗人になるよりほかに仕方がなか」って事ば、積極的に肯定するだけの、勇気が出んやったとよ。


下人は、でっかいくしゃみばして、それから、大儀そうに立ち上がったと。夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しかほどの寒さたい。風は門の柱と柱との間ば、夕闇と共に遠慮なく、吹き抜ける。丹塗の柱にとまっとったきりぎりすも、もうどこかへ行ってしもうたと。


下人は、首ば縮めながら、山吹の汗袗に重ねた、紺の襖の肩ば高うして門のまわりば見回したと。雨風の心配のなか、人目にかかる恐れのなか、一晩楽に寝られそうな所があれば、そこでともかくも、夜ば明かそうと思うたけんたい。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広か、これも丹ば塗った梯子が目についたと。上なら、人がおったにしても、どうせ死人ばかりたい。下人はそいで、腰に下げた聖柄の太刀が鞘走らんごと気ばつけながら、藁草履ばはいた足ば、その梯子の一番下の段へ踏みかけたと。


老婆との対峙


それから、何分かの後たい。羅生門の楼の上へ出る、幅の広か梯子の中段に、一人の男が、猫のごと身ば縮めて、息ば殺しながら、上の様子ばうかがっとったと。楼の上から差す火の光が、かすかに、その男の右の頬ば濡らしとる。短か髭の中に、赤う膿ば持った面皰のある頬たい。下人は、初めから、この上におる者は、死人ばかりやろうと高ば括っとったと。それが、梯子ば二三段上ってみると、上では誰か火ばともして、しかもその火ばあっちこっちと動かしよるらしかと。これは、その濁った、黄色い光が、隅々に蜘蛛の巣ばかけた天井裏に、揺れながら映ったけん、すぐにそれと分かったとよ。この雨の夜に、この羅生門の上で、火ばともしとるけんには、どうせただの者やなかと。


下人は、守宮のごと足音ば盗んで、やっと急な梯子ば、一番上の段まで這うごとして上りつめたと。そいで体ばできるだけ、平らにしながら、首ばできるだけ、前へ出して、恐る恐る、楼の内ば覗いて見たと。


見ると、楼の内には、噂に聞いた通り、いくつかの死骸が、無造作に捨ててあるばってん、火の光の及ぶ範囲が、思うたより狭かけん、数はいくつとも分からんと。ただ、おぼろげながら、分かるとは、その中に裸の死骸と、着物ば着た死骸とがあるって事たい。もちろん、中には女も男も混じっとるらしかと。そいで、その死骸は皆、それが、かつて、生きとった人間やったって事実さえ疑われるほど、土ば捏ねて造った人形のごと、口ば開いたり手ば伸ばしたりして、ごろごろ床の上に転がっとったと。


下人は、それらの死骸の腐った臭いに思わず、鼻ば覆うたと。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻ば覆うことば忘れとったと。ある強か感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚ば奪ってしもうたけんたい。


下人の目は、その時、初めてその死骸の中に蹲っとる人間ば見たと。檜皮色の着物ば着た、背の低か、痩せた、白髪頭の、猿のごとな老婆たい。その老婆は、右の手に火ばともした松の木片ば持って、その死骸の一つの顔ば覗き込むごと眺めとったと。髪の毛の長か所ば見ると、多分女の死骸やろうと。


正義から悪への転落


下人は、六分の恐怖と四分の好奇心に動かされて、しばらくは息ばするとさえ忘れとったと。昔の記録の記者の言葉ば借りれば、「頭身の毛も太る」ごと感じたとよ。すると老婆は、松の木片ば、床板の間に挿して、それから、今まで眺めとった死骸の首に両手ばかけると、ちょうど、猿の親が猿の子の虱ばとるごと、その長か髪の毛ば一本ずつ抜き始めたと。髪は手に従って抜けるらしかと。


その髪の毛が、一本ずつ抜けるとに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行ったと。そいで、それと同時に、この老婆に対する激しか憎悪が、少しずつ動いて来たと。――いや、この老婆に対するって言うては、語弊があるかも知れんと。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分ごとに強さば増して来たとよ。この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えとった、飢え死にするか盗人になるかって問題ば、改めて持ち出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、飢え死にば選んだ事やろうと。それほど、この男の悪ば憎む心は、老婆の床に挿した松の木片のごと、勢いよく燃え上がり出しとったとよ。


下人には、もちろん、何で老婆が死人の髪の毛ば抜くか分からんやったと。従って、合理的には、それば善悪のどっちに片付けてよかか知らんやったと。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛ば抜くって事が、それだけでもう許すべからざる悪やったと。もちろん、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でおった事なんかは、とうに忘れとったとよ。


そいで、下人は、両足に力ば入れて、いきなり、梯子から上へ飛び上がったと。そいで聖柄の太刀に手ばかけながら、大股に老婆の前へ歩み寄ったと。老婆が驚いたとは言うまでもなかと。


老婆は、一目下人ば見ると、まるで弩にでも弾かれたごと、飛び上がったと。


「おのれ、どこへ行くとや。」


下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行く手ば塞いで、こう罵ったと。老婆は、それでも下人ば突きのけて行こうとする。下人はまた、それば行かすまいとして、押し戻す。二人は死骸の中で、しばらく、無言のまま、つかみ合うたと。しかし勝敗は、初めから分かっとる。下人はとうとう、老婆の腕ばつかんで、無理にそこへ捻じ倒したと。ちょうど、鶏の脚のごとな、骨と皮ばかりの腕たい。


「何ばしよったとや。言え。言わんと、これやぞ。」


下人は、老婆ば突き放すと、いきなり、太刀の鞘ば払って、白い鋼の色ばその目の前へ突きつけたと。けれども、老婆は黙っとる。両手ばわなわな震わせて、肩で息ば切りながら、目ば、眼球が瞼の外へ出そうになるほど、見開いて、唖のごと執拗に黙っとる。これば見ると、下人は初めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されとるって事ば意識したと。そいでこの意識は、今まで激しく燃えとった憎悪の心ば、いつの間にか冷ましてしもうたと。後に残ったとは、ただ、ある仕事ばして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりたい。


老婆の言い訳と下人の選択


そいで、下人は、老婆ば見下しながら、少し声ば柔らげてこう言うたと。


「おいは検非違使の庁の役人なんかやなかと。今し方この門の下ば通りかかった旅の者たい。やけんお前に縄ばかけて、どげんしようって事はなかと。ただ、今時分この門の上で、何ばしよったとか、そればおいに話しさえすればよかとよ。」


すると、老婆は、見開いとった目ば、一層大きゅうして、じっとその下人の顔ば見守ったと。瞼の赤うなった、肉食鳥のごとな、鋭か目で見たとよ。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇ば、何か物でも噛んどるごと動かしたと。細か喉で、尖った喉仏の動いとるとが見える。その時、その喉から、烏の鳴くごとな声が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来たと。


「この髪ば抜いてね、この髪ば抜いてね、鬘にしようと思うたとよ。」


下人は、老婆の答えが存外、平凡なとに失望したと。そいで失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑と一緒に、心の中へ入って来たと。すると、その気色が、先方へも通じたとやろうと。老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪うた長か抜け毛ば持ったまんま、蟇のつぶやくごとな声で、口ごもりながら、こげな事ば言うたと。


「なるほどね、死人の髪の毛ば抜くって事は、どげん悪か事かも知れんと。じゃが、ここにおる死人どもは、皆、そのくらいな事ば、されてもよか人間ばかりやぞ。現に、わしが今、髪ば抜いた女なんかはね、蛇ば四寸ばかりずつに切って干したとば、干魚やって言うて、太刀帯の陣へ売りに行きよったとよ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに行きよった事やろうと。それもね、この女の売る干魚は、味がよかって言うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買うとったそうな。わしは、この女のした事が悪かとは思うとらんと。せなんだら、飢え死にするけん、仕方なくした事やろうと。やけん、今また、わしのしよった事も悪か事とは思わんとよ。これとてもやはりせなんだら、飢え死にするけん、仕方なくすることたい。じゃけん、その仕方なか事ば、よう知っとったこの女は、多分わしのすることも大目に見てくれるやろうと。」


老婆は、大体こげな意味の事ば言うたと。


下人は、太刀ば鞘に納めて、その太刀の柄ば左の手で押さえながら、冷然として、この話ば聞いとったと。もちろん、右の手では、赤う頬に膿ば持ったでっかい面皰ば気にしながら、聞いとるとよ。しかし、これば聞いとる中に、下人の心には、ある勇気が生まれて来たと。それは、さっき門の下で、この男には欠けとった勇気たい。そいで、またさっきこの門の上へ上って、この老婆ば捕らえた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気たい。下人は、飢え死にするか盗人になるかに、迷わんやったばかりやなかと。その時のこの男の心持ちから言えば、飢え死になんかって事は、ほとんど、考えることさえできんほど、意識の外に追い出されとったと。


「きっと、そうか。」


老婆の話が終わると、下人は嘲るごとな声で念ば押したと。そいで、一足前へ出ると、不意に右の手ば面皰から離して、老婆の襟上ばつかみながら、噛みつくごとにこう言うたと。


「やったら、おいが引剥ぎばしようと恨むなよ。おいもそげんせなんだら、飢え死にする体なとよ。」


下人は、すばやく、老婆の着物ば剥ぎ取ったと。それから、足にしがみつこうとする老婆ば、手荒く死骸の上へ蹴り倒したと。梯子の口までは、わずかに五歩ば数えるばかりたい。下人は、剥ぎ取った檜皮色の着物ば脇に抱えて、瞬く間に急な梯子ば夜の底へ駆け下りたと。


しばらく、死んだごと倒れとった老婆が、死骸の中から、その裸の体ば起こしたとは、それから間もなくの事たい。老婆はつぶやくごとな、うめくごとな声ば立てながら、まだ燃えとる火の光ばたよりに、梯子の口まで、這って行ったと。そいで、そこから、短か白髪ば逆さまにして、門の下ば覗き込んだと。外には、ただ、真っ暗な夜があるばかりたい。


下人の行方は、誰も知らんと。

※この作品は、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で公開されている以下の作品を利用して、AIで創作しています。

原作小説

原作小説名
羅生門
原作作者
芥川 竜之介
青空文庫図書URL
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