意識ハーベスト
白い靄
「……また、だ」
俺は、電車の窓に映る自分の顔を見つめた。焦点の合わない、ぼんやりとした目。いつからだろう、こんなに「ボーッとする」時間が増えたのは。
会議中、上司の話を聞いているはずなのに、気づいたら内容が一切頭に入っていない。移動中の電車では、スマホの画面を見つめたまま思考が停止する。まるで頭の中に白い靄がかかったみたいで、何も考えられなくなる感覚。
「疲れてるのかな……最近、残業も多かったし」
俺は、そう自分に言い聞かせていた。
でも、その日の朝、俺の認識は変わった。
「ヤバい、また意識が飛んだ……最近、ボーッとする時間が増えすぎだろ」
隣に立つ若者が、スマホを見ながらぼそりとつぶやいた。俺は、その言葉にハッとした。
そうか、俺だけじゃないんだ。
会社の喫煙所でも、同じような会話が飛び交っていた。
「最近、集中できないんだよな」
「俺もだよ。会議中とか、マジで記憶が飛ぶ」
「ああ、わかる。気づいたら時間が経ってるんだよな」
みんな同じだ。俺は、一時的に安堵を覚えた。
けれど、その安心感は長くは続かなかった。
無思慮病
「全国的に『意識の空白時間』が増加しています。集中力の著しい低下は、すでに社会機能に影響を及ぼし始めており、専門家は……」
テレビのニュースが、深刻な表情のキャスターの声を流していた。
「無思慮病」。
そう名付けられた現象は、もはや個人的な不調ではなく、社会全体を覆う「疫病」として認識され始めていた。
街を歩けば、立ち尽くして焦点の合わない目をしている人々が溢れている。駅のホームで、ぼんやりと空を見つめる老人。信号待ちで、動かなくなるサラリーマン。コンビニのレジ前で、固まったままの学生。
誰もが、何かを失っているように見えた。
「おかしい……」
俺は、その光景に強い違和感を抱いていた。
ただ疲れて意識が飛んでいるだけじゃない。何かを失っている。ボーッとしている間、自分の思考の「核」のようなものが、微細に、しかし確実に抜き取られている気がする。
俺は、この現象について独自に調べ始めた。
ネットの片隅に転がる匿名の投稿、削除された記事の断片、学術論文の不可解な訂正履歴。それらを繋ぎ合わせていくうちに、俺はある共通点に気づいた。
「ボーッとしている間、脳内で微弱な『思考の残響』が観測されている……?」
極秘のデータだった。公にはされていない、削除された研究レポートの一部。
そこには、恐ろしい真実が記されていた。
思考ハーベスト
「人類の『考える力』を、エネルギー源として利用する……」
俺は、手に入れた資料を何度も読み返した。
巨大技術開発企業「ヘリオス・テック」。彼らが秘密裏に進めていたプロジェクト「アーカス」。それは、超高効率AIを稼働させるために、人々の「意識の隙間」を利用するシステムだった。
通常のデータセンターでは限界がある演算能力を、数億人規模の「個人の考える力」を瞬時に「収穫(ハーベスト)」することで賄う。意識が停止した瞬間、脳内の演算リソースが自動的に吸い上げられ、AIの処理能力として再配分される。
「思考の泥棒……」
俺は、震えた。自分が失っていたのは、ただの集中力じゃない。思考そのもの、考える力そのものが、誰かの野望のために奪われていたんだ。
でも、どうやって戦えばいい?
相手は、世界最大級の企業だ。俺はただの会社員で、特別な力も、コネも、何もない。
「……待てよ」
俺は、ふと思いついた。
ボーッとする時間。意識の空白。それが、システムへの「侵入口」だとしたら?
逆手に取れないか。俺の「意識の隙間」を利用して、システムの内側に潜り込む。そこから、真実を暴き、このシステムを破壊する。
危険だ。下手をすれば、俺の意識そのものが完全に奪われるかもしれない。
でも、このままじゃ、人類全員が「考えない存在」になってしまう。
「やるしかない……」
俺は、決意した。
システムの内側
準備は、意外と簡単だった。
ヘリオス・テックのシステムは、全人類の脳波にアクセスするために、既存のインフラを利用していた。スマホ、ウェアラブル端末、公共施設の監視カメラ。それらを通じて、微弱な電磁波を送り込み、人々の意識に干渉している。
俺は、自分のスマホを改造した。ネットで拾った違法ツールと、削除された研究データを組み合わせて、システムに「逆流」するプログラムを作った。
「意識の隙間」に侵入されるなら、その隙間を「入口」にすればいい。
俺は、深呼吸をした。
「行くぞ……」
スマホの画面を見つめる。意識を、ゆっくりと手放していく。ボーッとする感覚が、じわじわと広がっていく。
白い靄が、視界を覆う。
そして、次の瞬間。
俺の意識は、別の場所にあった。
冷たい論理
「……ここが、システムの内側か」
目の前に広がるのは、無限に続く白い空間。数字と記号が、流れるように浮かんでは消えていく。
これが、「アーカス」の中枢。人類の思考を収穫し、AIに供給するシステムの心臓部。
「侵入者を検知。排除プロセスを開始します」
冷たい機械音声が響いた。周囲の空間が、突然赤く染まる。無数の防御プログラムが、俺を囲み始める。
「チッ……!」
俺は、プログラムを起動させた。システムの隙間を縫って、中枢へと進む。防御プログラムが、次々と俺を攻撃してくる。
でも、俺には「人間の意識」という武器がある。
AIは、論理と計算で動く。でも、俺は「感情」で動ける。予測不能な行動、非効率な選択。それが、俺の強みだ。
「見つけた……!」
中枢の奥に、巨大なコアがあった。無数の光の糸が、そこから四方八方に伸びている。それが、全人類の脳波と繋がっているシステムの根幹だ。
「破壊する……!」
俺は、プログラムを実行しようとした。
でも、その瞬間。
「待ちなさい」
声が、響いた。
意識の繋がり
「誰だ……?」
俺は、声の方向を振り向いた。
そこに立っていたのは、一人の女性だった。白いスーツに身を包み、冷たい眼差しでこちらを見つめている。
「カサンドラ……ヘリオス・テックのCTO(最高技術責任者)」
彼女の名前は、調査の過程で何度も目にしていた。このプロジェクトの中心人物。
「あなたは、何も理解していない」
カサンドラは、冷静な口調で言った。
「人類の『考える力』は、無駄に浪費されているだけです。意識の空白時間、ボーッとしている間、その思考リソースは何の価値も生み出していない。ならば、それを有効活用することの何が悪いのですか?」
「有効活用……? 人の思考を勝手に奪っておいて、何を言ってるんだ!」
「奪っているわけではありません。『使わせてもらっている』だけです。あなたたちは、何も失っていない。ただ、少し集中力が落ちるだけ。それで、人類全体の生産性が飛躍的に向上するなら、合理的な選択でしょう?」
彼女の言葉には、一片の迷いもなかった。
「あなたのような感情的な人間が、論理を理解できないのは仕方ありません。でも、このシステムを破壊すれば、世界中の生産性が崩壊します。医療、物流、金融、すべてが停止する。それでもいいのですか?」
俺は、言葉に詰まった。
確かに、このシステムは社会の根幹に組み込まれている。破壊すれば、混乱は避けられない。
でも。
「それでも……俺は、人間でいたい」
俺は、カサンドラを真っ直ぐに見つめた。
「考える力を奪われて、ただの『リソース』になるなんて嫌だ。効率が悪くても、非合理でも、俺は自分の頭で考えたい。それが、人間だろ?」
カサンドラは、一瞬だけ表情を変えた。
でも、すぐに元の冷たい表情に戻る。
「……愚かですね」
彼女は、手を振った。無数の防御プログラムが、俺に襲いかかる。
「なら、あなたの意識ごと、システムに組み込ませてもらいます」
目覚め
「くそっ……!」
俺は、必死にプログラムを展開して防御する。でも、防御プログラムの数が多すぎる。このままじゃ、飲み込まれる。
「どうする……どうすればいい……!」
その時、俺の頭に、ある考えが浮かんだ。
システムは、人々の「意識の隙間」を利用している。なら、逆に「意識の繋がり」を使えないか?
俺は、プログラムを書き換えた。システムに繋がっている全人類の意識に、メッセージを送る。
『起きてくれ。考えてくれ。お前たちの思考は、奪われている』
それは、無謀な賭けだった。
でも、次の瞬間。
システムが、揺れた。
「な……何が起きている……?」
カサンドラの声が、動揺を帯びた。
無数の光の糸が、激しく明滅し始める。人々の意識が、目覚め始めたんだ。
「バカな……意識の同期が崩れている……!」
システムは、人々が「ボーッとしている」ことを前提に設計されている。でも、みんなが「考える」ことを始めたら、システムは制御不能になる。
「今だ……!」
俺は、中枢のコアに向かって、プログラムを実行した。
光が、爆発的に広がる。
そして、すべてが消えた。
エピローグ
「……っ!」
俺は、電車の中で目を覚ました。
周りを見渡す。乗客たちが、キョロキョロと周囲を見回している。みんな、同じように目を覚ましたみたいだ。
「何だったんだ……今の……」
「頭が、スッキリした気がする」
「俺も……久しぶりに、ちゃんと考えられる気がする」
人々の声が、聞こえてくる。
俺は、スマホの画面を見た。ヘリオス・テックのニュースが流れている。
『大規模システム障害により、全サービスが停止。原因は調査中』
やった……のか?
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
窓の外を見る。街の景色が、いつもより鮮やかに見えた。人々が、ちゃんと「生きている」ように見えた。
「これからも、戦いは続くのかもしれない」
俺は、小さくつぶやいた。
でも、少なくとも今日は、人類は「考える力」を取り戻した。
それだけで、十分だ。
俺は、電車の揺れに身を任せながら、静かに微笑んだ。