カウントダウン・オブ・ザ・ワールド
第一章 告白
「おはようございます。私の名前は山下健太です。」
画面に映る男性は、どこにでもいる平凡なサラリーマンだった。紺色のスーツに地味なネクタイ、少し疲れた表情をしているが、目だけは異様に冷静で鋭い光を宿している。
「今日、皆さんにお伝えしたいことがあります。」
山下は一度深呼吸をしてから、信じがたい言葉を口にした。
「私は一週間後、2024年3月15日、午後8時30分に殺されます。」
動画配信サイト「VideoShare」に投稿されたこの動画は、わずか数分間のものだった。山下は淡々と、まるで明日の天気予報を読み上げるかのような口調で続ける。
「理由は簡単です。私が知ってはいけないことを知ってしまったからです。この世界を陰で操る人たちにとって、非常に都合の悪い秘密を。」
彼の表情に嘘をついているような様子は微塵もない。むしろ、真実を語る人間特有の静かな確信に満ちていた。
「詳細をお話しすることはできません。しかし、皆さんには知っておいてもらいたい。この世界は、私たちが思っているほど単純ではないということを。」
動画の最後、山下は時計を見上げた。
「残り時間：168時間0分0秒。カウントダウンが始まりました。」
画面が暗転し、動画は終わった。
第二章 拡散
動画が投稿されてから12時間後、SNSは大騒ぎになっていた。
「これ本物？」
「完全に狂言でしょ」
「でも、なんか真実味がある…」
リツイート数は10万を超え、コメント欄は賛否両論で炎上状態だった。テレビのワイドショーでも取り上げられ始め、「予告殺人動画の謎」として連日報道された。
山下本人は、動画投稿後も普通に会社に通っていた。彼が勤める中堅商社「タナカ商事」の同僚たちは、突然有名人になった彼を複雑な表情で見つめていた。
「山下さん、本当に大丈夫なんですか？」
同僚の田中が心配そうに声をかけた。山下は苦笑いを浮かべる。
「田中さん、ご心配をおかけしてすみません。でも、これは避けられないことなんです。」
「警察には相談しました？」
「しましたが、『具体的な脅迫や証拠がない』と言われました。当然ですね。」
山下の冷静さが、逆に周囲の不安を煽った。もし本当に命を狙われているなら、なぜそんなに落ち着いていられるのか。
第三章 メディアの嵐
動画投稿から3日後、山下はテレビ局からの出演依頼を受けることにした。最初に出演したのは、平日の朝の情報番組「モーニングCafe」だった。
「山下さん、正直に伺います。これは話題作りのための嘘ではないのですか？」
司会者の質問に、山下は穏やかに答えた。
「もしこれが嘘だったら、私にどんな得があるでしょうか？会社での立場も危うくなり、家族にも迷惑をかけています。」
「それでは、なぜ動画を投稿したのですか？」
「誰かに記録として残しておいてもらいたかったんです。私という人間が確かに存在していて、そして何かに巻き込まれて消されたのだということを。」
山下の言葉には重みがあった。嘘をついているようには全く見えない。
番組終了後、視聴者からの反響は予想以上だった。「山下さんを信じる」「守らなければならない」という声が多数寄せられた。
第四章 信者たち
動画投稿から5日後、山下の周りには自称「サポーター」たちが集まり始めた。彼らは山下の会社の前や自宅周辺に現れ、「真実を世に広めよう」「山下さんを守ろう」と叫んだ。
しかし、その熱意は次第にエスカレートしていく。
「山下さんは秘密を知っているんでしょう？教えてください！」
「このままじゃ本当に殺されてしまう！」
山下は困惑した。彼らの善意は理解できるが、その行動は明らかに度を越していた。
「皆さん、お気持ちはありがたいのですが、私には何もできません。」
そんな山下に、一人の女性が近づいた。20代後半と思われる女性で、目に狂気じみた光を宿していた。
「山下さん、あなたは間違っています。あなたが死んでしまったら、真実は永遠に闇に葬られてしまう。それでいいんですか？」
「私が生きていても、真実を話すことはできないんです。」
「だったら…」女性の表情が変わった。「あなた自身が障害になっているんです。」
山下は背筋に冷たいものを感じた。
第五章 運命の日
3月15日、午後7時。
山下は生放送の報道番組「NEWS TONIGHT」のスタジオにいた。番組側は厳重な警備体制を敷き、出入りする全ての人間をチェックしていた。
「いよいよ、あと1時間半ですね。」司会者の声に緊張が滲んでいる。
「はい。」山下は相変わらず落ち着いていた。「どんな結果になっても、私は受け入れるつもりです。」
スタジオには異様な緊張感が漂っていた。カメラマンもスタッフも、全員が固唾を呑んで時計を見つめている。
午後8時25分。
「あと5分です。」
山下は深呼吸をした。彼の表情に恐怖の色はない。むしろ、安堵の表情すら浮かんでいる。
午後8時29分。
秒針がゆっくりと進む。スタジオ内は針の落ちる音まで聞こえそうなほど静まり返っていた。
午後8時30分。
「…時刻になりました。」司会者がほっとした表情で言った。「山下さん、何事も起こりませんでし…」
その瞬間、スタジオの照明が全て消えた。
真っ暗闇の中で、悲鳴が上がった。数秒間の暗闇の後、非常用電源が作動し、薄明かりがスタジオを照らす。
そして照明が完全に復旧したとき、山下はまだそこに立っていた。
第六章 真実
「皆さん、お騒がせしました。」
山下は穏やかに微笑んだ。
「私は確かに殺されませんでした。しかし、命を狙われていたのは事実です。」
司会者は混乱していた。「それは一体…？」
「実は、私を殺そうとしていたのは、私を信じてくれた人たちの中にいました。彼らは『山下が秘密を抱えたまま死んでは困る。だから秘密を吐かせるために殺してでも阻止する』という歪んだ正義感を持っていたのです。」
スタジオがざわめいた。
「私は彼らの計画を事前に察知していました。だから、このような芝居を打ったのです。停電も私たちが仕組んだものです。」
山下は続けた。
「本当の秘密とは何か。それは、人間の正義感がいかに危険なものになりうるかということです。私たちは自分が正しいと信じるとき、時として最も残酷な行為を正当化してしまう。」
彼の言葉がスタジオに響いた。
「私が知った『世界の秘密』とは、実はとても単純なことだったのです。この世界で最も恐ろしいのは、巨大な陰謀でも、権力者の策略でもない。善意に基づいた暴走なのです。」
第七章 その後
番組終了後、山下は静かに姿を消した。
彼のサポーターたちは、自分たちの行動を深く恥じた。中には、本当に山下を殺害しようと計画していた者もいて、警察に自首した。
動画は今も配信サイトに残っている。しかし、そのメッセージは当初とは全く違った意味を持つようになった。
「人間の善意は、時として最も危険な武器になる」
この教訓は、多くの人々の心に深く刻まれた。
山下健太という男性が実在したのか、それとも最初から仕組まれた芝居だったのか、真実は誰にも分からない。
ただ一つ確実なのは、彼の言葉が世界を少しだけ変えたということだった。
人々は物事をより慎重に判断するようになり、善意の名の下に行われる暴力について考えるようになった。
山下の動画から学んだ最も重要な教訓は、真実は必ずしも巨大な陰謀の中にあるのではなく、私たち自身の心の中にあるということだった。